2023/09/17「ありがとうの光」ルカによる福音書17:11~19 森下辰衛先生 

◇「ありがとう」は、有難い、つまり奇跡的だとの表明である。本日の聖書箇所は、病を癒された10 人の内、感謝するために戻って来たのはサマリア人ひとりであったと伝える。彼らは皆、病が癒されるだけでなく、存在全体として、人間として回復されたいと願っていた。だが病を癒された奇跡だけでなく、キリストが出会ってくださり、自分に触れてくださるという恐るべきことをなしてくださったことに、「ありがとう」と言えたのは一人なのである。イエス様は彼を、「神を崇めるために戻って来た者」と呼ばれる。アダムの堕罪以来、人間は逆の「神に背き離れ去った者」であり続けた。「悔い改める者になってほしい」それが神様の絶えざる願いである。イエス様は彼に「よく戻ってきた。あなたは救われた。」と言ってくださる。彼は、病からの回復だけでなく、イエス様が触れてくださることにより、根源的な回復を発見した。それはまさに「有難い」ことだったのである。 

◇「道ありき」では、三浦(堀田)綾子に起こったいくつもの奇跡的な出来事に、多くの人が「ありがとう」を言う。昭和34 年、綾子は三浦光世と結婚する。綾子は昔の恋人、前川正の祈りを理解し、彼に感謝する。光世は「前川を忘れろ」と言うどころか、逆に「忘れてはならない」と言うのである。前川は死の直前、綾子に誕生祝いの手紙を書き、「生まれてくれてありがとう」と言う。死の床にある前川にとって綾子は、重荷であるどころか、支えだったのである。綾子は前川の死に、その命がけの愛を知ると共に、その先にある神の愛と祝福を知るのである。 

◇「生まれてくれてありがとう」と言える相手がいれば、あなたの人生は良好である。だが、自分など生まれなければ良かった、と思うこともあるだろう。しかし、「生まれてくれてありがとう」と言ってくださる方がいる。イエス様である。十字架にそれが書いてある。人間にその愛を拒むことができるだろうか。