2022/07/24 「天の国は近づいた」 マタイによる福音書3:1~12 信徒伝道者 李暁静

「天の国は近づいた」

マタイによる福音書3:1~12
信徒伝道者 李 暁静

◇バプテスマのヨハネはこう叫びながら、荒野に現れた。そこに、「エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた」、ファリサイ派やサドカイ派の人々もヨハネのもとに来て、洗礼を受けようとした。

◇悔い改めることは後悔、考え方や自分の生き方を軌道修正してみることとは根本的に異なる。神の方に向く、神と共に生きる、神に従って生きることである。罪を告白することから始まる。 ◇ヨハネは人々に悔い改めの洗礼を授けたが、ファリサイ派やサドカイ派の人々が洗礼を受けに来たのを見て、「悔い改めにふさわしい実を結べ」(8~10節)とヨハネは非常に厳しい非難の言葉をかける。この「実」は、正しい行い、義を意味する。ファリサイ派やサドカイ派の人々は、律法を忠実に守る人たちであった。しかし、まさに、彼らの正しさに問題がある。彼らは神の前で、高ぶっていたから。

◇私たちも悔い改めることも、悔い改めにふさわしい実を結ぶこともできない。でも神にはできる。神は罪の贖いの御業によって、私たちを悔い改める者にしてくださった。悔い改めは十字架の恵み、罪の赦しによって、起こされる。「悔い改める」前に、「罪の赦し」が先行している。罪の赦しは先行の恵みである。

◇神はさらに、驚くべきもの、聖霊を備えてくださる。イエスは聖霊と火で私たちに洗礼を授ける。聖霊によって、わたしたちは悔い改めにふさわしい実を結ぶことができるようになり、永遠の命を約束される。

◇天の国、神の国は近づいたことは、間違いなく、神の支配、裁きが近づいていることである。しかし、この言葉を聞く私たちは幸いである。これは途方もない特大な恵みの言葉、喜びの知らせ、福音そのものである。福音を聞き受け入れる者は、永遠の命が約束される、主の日に栄光が輝く、死も、悲しみも嘆きも苦労もない、天の国に入れられる。神の恵みに感謝し、天の国を待ち望もう。