2022/07/03 「管理者の孤独」コリントの信徒への手紙一 4:1~15牧師 古屋 治雄

コリントの信徒への手紙一 4:1~15
牧師 古屋 治雄

◇今日の聖書箇所では、コリントの教会の人々と、その設立者であるパウロとの関係が決裂状態のようにも見える。彼らのパウロに対する評価は思わしくない。

◇パウロは福音を伝道するために、主の教会に注がれている恵みに仕える者として、自分たち使徒が立てられていることをコリントの教会の人々に説得しようとした。パウロは自分の弱さ、使徒の役割を負うことがどんなに孤独で、苦しみを伴うことであるかを率直に語っている(11、13節)。

◇使徒としての役割をパウロは、「人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです」(1節)と語る。父なる神がイエス・キリストをこの世にお送りくださり、天地創造以来この世界に恵みを注いでくださった。この恵みの支配によって、御子が十字架にかかって死なれ、そこから復活された決定的救いの出来事を告げることは、使徒の役割と考えた。この救いの出来事は地上世界にとっては「神の秘められた計画」としか言いようがない、まさに秘儀、神の知恵がここにある。パウロが拠って立っているところは、この一点である。だから人々から批判されても動じることはない。神の最終的な評価が明らかになる時が必ず来ることをパウロは知っている。

◇教会に結ばれている私たちも神の前ではパウロと同じように、キリストに仕え、主の教会に仕える役割を負っている。教会の中で福音にしっかり立とうとするとき、私たちも孤独感に襲われることがある。また教会に結ばれていない人たちとの交流においては一層孤立感をもつことがある。5節の最後で、「そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります」とパウロは言う。そういう私たちを主はすでにご存知であり、支えてくださっている。

この主を見上げすべてを委ねて7月を歩み進もう。