2022/06/26 「ヘロデの恐怖」マタイによる福音書2:16~18 信徒伝道者 李 暁静

マタイによる福音書2:16~18
信徒伝道者 李 暁静

◇イエスの誕生は全世界に知らされ、人々はこの日を祝い、喜ぶ。しかし、マタイ福音書にはイエスの誕生の日に、ヘロデ王によって起こされた幼児虐殺事件が伝えられている。

◇ヘロデ王はイエスがユダヤ人の王、この世の支配者として来られたことに不安や恐怖を感じた。自分の王の地位を守るために、自分の利益や欲望に固執するがゆえ、イエスと同じ時期に生まれたベツレヘムの周辺一帯の二歳以下の男の子を一人も残さず、みな殺した。イエスは父ヨセフと母マリアに連れられ、エジプトに逃げたが、ベツレヘム周辺一帯は嘆き悲しむ声がなり響き、母親はもはや慰めさえ願わない、このような悲惨な事件が、救い主イエスの誕生によって引き起こされていた。

◇マタイ福音書は、この幼児虐殺事件は預言の実現であると結論づけている。本当のことについて、私たちは知ることができない。しかし、神は決して「二歳以下の男の子を、一人残らず殺させ」ることを望んでおられない。

◇聖書はヘロデ王の姿を通して、私たち人間の罪を見つめている。その罪から、暴力が生まれ、悩み、苦しみ、悲しみが生じる。ヘロデ王の罪は私たちの罪でもある。

◇イエスの誕生物語は、間違いなく一つの悲劇でもある。エレミヤの予言どおりになった。しかし、エレミヤの予言は嘆きで終わっていない。その直後には、イスラエルのバビロン捕囚の解放が予告されていた。新しい救いの契約の約束へと続いている。

◇聖書は単に私たち人間の罪を、罪の結果を見つめているのではない。聖書は私たち人間の罪を見つめながら、私たち人間の罪の歴史の中に、イエス・キリストは私たちの救い主として来られたこと、私たちの平安であることを語っている。

◇神の前にひれ伏し、罪を悔い改め、平和の君イエス・キリストを、自分の主として受け入れ、従う者でありたい。神の平安がいつも私たちにあるように。