2022/06/19「この世の知恵対神の知恵」コリントの信徒への手紙一3 : 18 ~ 23牧師 古屋 治雄

コリントの信徒への手紙一3 : 18 ~ 23
牧師 古屋 治雄

◇パウロは、イエス・キリストという土台の上にコリント教会を設立した 10 節 。その後、コリント教会には問題が起こる。パウロはその原因を、神からの知恵が根付いておらず、世の知恵、人間の知恵がはびこっているからだと指摘する。

◇知恵を得ることは私たちに必要なことである。知識もまた知恵と強く結びついている。私たちが成長の過程で、家庭や学校で課題に取り組む、そうしたことも大切で、否定されるべきではない。具体的な職業訓練としてだけでなく、もっと広く、一人の人間としての自分をみつめ、社会全体のこと、 世界のことや歴史にどのような意義があるかについて学び考えることも重要であり、多くのキリスト教学校もこうしたリベラル・アーツを大切にしてきた。パウロも、私たちのこうした知恵や知識を得ようとする努力や研鑽を否定してはいない。パウロにとって問題な のは、身に着けた知恵をどのように用いるのか、その活用法が大事であり、そこにこそ、その人の価値観が表れるのである。

◇パウロはヨブ記5:13 や詩編 94:11 の言葉を引用して、知恵あるものが「悪賢い」ので、「その議論が空しい」と断ずる。神様の知恵が人間の知恵の正体を見透かしているのである。人間の知恵は結局、自分自身を誇ることに繋がっている。神の知恵に立脚せず、人間を誇ることがコリント教会の内部紛争の根なのである。だからパウロは「だれも人間を誇ってはならない」と教える。

◇当時のギリシア哲学は、「賢い者は一切を所有する」と考えていた。 21 節や 23 節は、この考えかたに同調しているようにも見える。しかし、 23 節の前には逆接の接続詞があるべきだ、という一部の聖書翻訳の読みかたに従うならば、パウロはギリシア哲学とは逆に、「人の知恵は皆、神から出ており、神の知恵のなかに収まる。」と言っているのである。

◇世はキリストを十字架につけた。これが世の本質である。しかしキリストの十字架によって表された、神の真の知恵を土台に生きる時、私たちは神の栄光を表す者として生きることができる。