2022/01/16 「福音を宣べ伝える者の自由」使徒言行録28:17~31 牧師 古屋 治雄

使徒言行録28:17~31
牧師 古屋 治雄

◇使徒言行録から2年2ヶ月にわたって御言葉を聴いてきたが、本日いよいよ最後の部分となった。 阿佐ヶ谷教会は今100 周年を目指しての歴史を与えられていることを覚えて、まず福音書から御言葉を聴くためマルコ福音書の連続講解を行い、続いてこの使徒言行録から初代教会の歩みにふれることを通して、今の私たちの教会に与えられている恵みを知る意図をもって聖書箇所を選んできた。

◇今日の聖書に、パウロの熱心な「説得」によって「ある者はパウロの言うことを受け入れた」とあり、ユダヤ人の福音への対応が二分したことが伝えられている。しかし、パウロがローマに到着して同胞のユダヤ人へ働きかけをしたのだがこれまでと同じように、成功したと言えず、むしろ挫折した。それにもかかわらず、パウロは閉塞状況のようにみえることが逆に新たな力になって積極的に伝道している様子が伝えられている。パウロは囚人とされているが「訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」とあることからもそれがわかる。

◇ルカはパウロの死から約30年後の西暦80~90年に入る頃に使徒言行録をまとめた。ということはパウロのローマ到着後の歩みを当然知っているが、ルカは記していない。歴史的事実としてパウロがローマで殉教したことを、ルカは知りながら書かずに使徒言行録を閉じた。それは福音を運ぶ人間は限界をもち、迫害によって命を落とすことはあったが、福音の真理は滅ぼされずにパウロの死後も生き続けたことを示すためであった。福音を運ぶ者はとらわれの身であっても自由であった。その福音に仕えることによって実は神様の真理の中に、神様の与えてくださる自由の中に生きる者とされる。

◇福音を宣べ伝える教会は今日の私達と共通して、たとえ困難な時代の中にあっても、パウロが伝道したように、「自由に何の妨げもなく」語る信仰の力が私たちにすでに与えられているのである。新しい年、年度を福音によって解き放たれ、伝える者の自由に生かされる者として歩んで行きたい。