2024/03/10「永遠の命に至る実を集める者」 ヨハネによる福音書4:31〜42 牧師 古屋治雄

◇シカルの井戸辺でのイエス様とサマリアの女性とのやりとりで、初めイエス様に警戒感を持っていたこの女性は、少しずつ緊張を解かれる。思い違いはあったが、「その水をください」と言うようになる。イエス様と向き合う関係へと変えられたのである。 

◇16節に至ってイエス様は、初対面の相手に対して、さらに踏み込んで、話題を彼女の夫に変える。自分の遍歴を隠してきた彼女はとっさに「夫はいません」と答える。そこは触れられたくない部分であったが、この時、彼女は自分自身を再確認させられたのかもしれない。イエス様は「もっともだ、本当だ」と受け止められる。イエス様がなぜ、自分の秘密をご存じなのかと女性は驚く。 

◇だがこの女性は、自分の触れられたくない事柄をさらけ出された、とは捉えていないことが重要である。それどころか、「預言者だとお見受けします」と言って、全てを知っておられるイエス様に安心感を覚え、委ねようとするのである。これはイエス様によって起こされた、今までにない、全く新しい出来事なのである。聖書は一見、罪の告発を語っているように見える。しかし実はそうではない。この女性は、自覚しながら誰にも言えない罪から、経験したことのない解放を与えられるのである。今までは人目を避けて、誰も水汲みなどしない真昼に井戸に来ていたこの女性は、驚くべきことに、街へと出て行く。主イエスを語り告げる者へと変えられたのである。街の人々は彼女に、孤独な生活に代わって、社会の中で共に生きる力が与えられたことを知る。 

◇イエス様は、その場面や方法は異なれども、私たちと出会ってくださる。自分では気づけない問題点を先んじて気づき、共に担ってくださるのである。主は、私たちに決定的な打撃を与えられることはない。私たちの告白に取り組み、関わってくださる。不安は安心へと変えられる。そのイエス様を、霊と真実とをもって礼拝すべき時は、まさに今なのである。