2023/10/08「神にはできる」マルコによる福音書10:17~27 神学生 菊池 麻祐


◇永遠のいのちを受け継ぎたいと願った青年。この青年はお金持ちであり、議員であったと聖書は記しています。彼はイエスに、「良い先生、どうしたら受け継げるのか」と問いました。しかし、イエスは、「なぜ私を良いと言うのか。神おひとりの他に良い者は誰もいない。」と答えられます。彼は、ただ一人良い方である神様を第一としていない、そのことをイエスはすぐに見抜いたのです。そして「どうしたら」神の国を受け継げるのか、と、自分の側にその救いの根拠をおいていたことに彼の問題はありました。彼は幼い頃から旧約聖書に記される戒めを忠実に守ってきたと言います。しかしそのような行いが神の国の継承の条件であると、彼は誤解をしていました。そのような彼をイエスは「見つめ」、「慈しんで」言われます。「あなたに欠けているものがひとつある。行って、持っているものを売り払い、貧しい人々に施しなさい。」厳しくも聞こえるイエスの言葉ですが、神を第一とせずに、富に望みをおいていることをイエスは彼に示そうとされたのでした。

◇「慈しんで」と訳されている言葉は、元の言葉では明確に「愛して」と書かれています。イエスは決して冷たく彼に接したのではなく、彼を愛して、その温かい眼差しをもって、神を愛する歩みへと招いたのでした。しかし彼はその招きに答えることはできませんでした。

◇神を神とせず、自分自身の行いによって、神や人に良しとされたいと願う、それは私たちも経験することです。この青年の姿はまさに私たちの姿です。私たちはどれだけ努力をしても救いを得ることはできません。しかし、神様は、私たちを救うことがおできになる。「人間にできることではないが、神にはできる」と言われる、その偉大な力によって私たちを救ってくださいます。行いにはよらない、ただ一方的な恵みによる救いです。その恵みを受け取り、偉大な神様のお力に信頼する者となりたいと願います。