2023/04/02 「苦難を貫く希望」ローマの信徒への手紙12:9~21〜新年度教会標語による説教〜 牧師 古屋 治雄


◇イエス様の十字架のできごとから2000年、地上にある私たちから苦難は去っていない。この世の暗闇はますます濃くなっているように思われる。神に背く力は失せていないのである。しかし標語聖句のみならず、聖書全体は、これらの力が私たちを飲み込むことは決してないと語る。

◇とはいえ私たちは、自分の力で罪の力、死の力に打ち勝つことはできない。キリストの勝利宣言がその根拠なのである。この恵みの支配の勝利は、受難週を通して、キリストの苦悩によって私たちにもたらされた。私たちは、苦しむべき私たち自身の受難によってではなく、苦しまなくてよいはずのイエス・キリストの受難によって勝利にあずからせていただくのである。

◇力のメシアを待望していた弟子たちは、オリーブ山でイエス様が祈っておられた時、祈れなかった。眠りこけていた。そして十字架を前に皆、見捨てて逃げ去った。ユダヤ人の指導者たちは表に出ずに群衆を扇動し、ローマの総督ピラトは自己保身以外には関心がない。地上のものはすべて、イエス様を見捨てたのである。十字架上でイエス様は「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのか」と祈られる。父なる神に捨てられ、呪いのうちに滅びようとしていることを十字架上で経験しておられる。神様にさえ捨てられるという経験である。

◇このようなことがあっても、イエス様は弟子たちを、なおも愛し抜かれた。弟子たちの、希望を持てない、祈れない、眠りこけてしまう性質を反転させ、立ち上がらせてくださる。パウロもペトロも希望をもって喜ぶ者へと方向転換させられたのである。その力は教会を通して私たちにも及んでいる。耐え忍ぶべき苦難はある。私たちの内にある罪は直視しなければならない。しかし聖句の順は希望と喜びが先に書かれている。耐え忍ぶことができる。この希望は私たちの推進力である。たえず祈り、主に委ねて100周年に向けて歩もう。