2022/10/30 「自由ゆえに服従する」 コリントの信徒への手紙一9:19~27 牧師 古屋 治雄

コリントの信徒への手紙一9:19~27
牧師 古屋 治雄

◇マルチン・ルターは、ローマの信徒への手紙やガラテヤの信徒への手紙を読んで、「信仰義認」が福音の本質を表していると、福音を再発見し、宗教改革を起こした。

◇Ⅰコリントの中でも、パウロは教会の人々に信仰による自由ということを投げかけ、主の教会に結ばれ、福音に生きる者として、この自由を理解し、自由をそれぞれ身に受け、自由を実際体験する者となって欲しいと訴えている。

◇9章に入り、パウロは自由を与えられた使徒として自分がどう神様の前に立っているかを証し、「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました」(9:19)と語る。この言葉は、「神様から自由を与えられているゆえに、神様に、神様の言葉に服従する」と言い換えることができる。

◇私たちの神様は、いろいろなことに囚われている私たちを解放してくださり自由にしてくださる神様である。そして、私たちを自分から喜んで、自由に神様に応えて生きる者へと変えてくださっている。

◇ユダヤ人指導者たちとの論争の中で、主イエスはこう言われる。「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8:32)。また「だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である」(ヨハネ10:18)。 主イエスが言われた真理とは、父なる神様のもとで、私たちのためにご自身の命を捧げてくださったことを指している。

◇パウロは24節以下で、競技者が賞を受けるために節制することを引き合いに出して、 神様が私たちに与えてくださった自由を達成するために「自分の体を服従させ」るようにと呼びかけている。「喜んで服従する」は「自由」に矛盾しない。キリストが私たちを自由にしてくださったゆえに私たちの前に拓かれている真理にほかならない。