2022/02/20 「去る準備」マルコによる福音書14:3~9 副牧師 上田充香子

マルコによる福音書14:3~9
副牧師 上田充香子

◇主イエスは過越祭と除酵祭、つまり神様によって救われ、与えられた命に喜び、感謝をささげる祭りの中で殺された。その2日前の出来事としてこの箇所は描かれる。重い皮膚病のシモンの家で食事をしておられた時、一人の女性が入って来た。女性は、労働者のほぼ1年分の収入と同額の高価な香油の入った壺を持ってきて、イエス様に注ぎかけた。興味深いのは、女性が壺の口を開いたのではなく「壊した」ということである。再び蓋をすることなど全く考えずに主イエスにすべてを注いだということが示されている。この女性は、今ささげられる精一杯を全て主イエスにささげようとした。主イエスへの応答と献身のしるしとしてささげたのである。

◇私たちの生活を顧みた時、この女性を見て学ぶことがあるのではないだろうか。私たちはささげる時、ささげた後のことを考え、計算してからささげてはいないだろうか。そうすることで、主エス中心ではなく、自己中心に優先順位を逆に生きてはいないだろうか。自らを顧み、そのような自分を主の前に悔い改め、献身する時、主イエスは心から喜んでその思いを受け取ってくださる。

◇女性の献身の心と業を主イエスは喜んで受け取られた。それが高価なものだったからではない。この女性の精一杯だったからである。献身はその人の精一杯をささげるところから始まる。そしてその業を主は、「埋葬の準備をしてくれた」と、十字架と復活という救いの業に携わる者として受け入れてくださるのである。

◇この女性も私たちと同じ罪人であるから、この女性を模範にすべき、ということではない。この女性の罪も、私たち人間の罪もすべてを引き受けてくださった主イエスがおられる。十字架と復活の救いの業として、私たちの献身の心と業を引き受けてくださる主への献身の心を、それがどんなに小さな一歩でもその一歩を主は何倍にも大きくして喜んでくださる。他と比較することの出来ない献身の心を主にささげつつ歩みたい。