2022/05/01 「十字架のキリストのみを知る」 コリントの信徒への手紙一2:1~5 牧師 古屋 治雄

コリントの信徒への手紙一2:1~5
牧師 古屋 治雄

◇パウロは初めてコリントに来た時のことを 振り返る。ギリシア哲学の中心地、アテネでは 復活信仰が大きく受け入れられたとは言えず、 コリントに来た時には打ちひしがれていた(使 徒 17~18 章)。それでもパウロは、これからも 十字架を語り続ける決意を語る。パウロの信仰 上の決定的な出来事はダマスコ途上での復活 のイエス様との遭遇であり、復活のイエス様は 十字架のイエス様なのである。困難のたびに十 字架のイエス様を思い起こし、力が与えられる ことをパウロは経験するのである。

◇コリントの教会の一人ひとりの心の内には 十字架のキリストが根付いておらず、その教会 は福音を伝えるという役割を担えていない。そ こでパウロは経験による証を語る。「十字架の 言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなもので すが、わたしたち救われる者には神の力です」 (招詞 Iコリント 1:18)と。神様は、超越的な 力を発揮して世の人々を信じる者に変えてし まうこともできたであろう。しかし神様はそう はなさらない。キリストを信じる者が、拙い言 葉であっても証をし、その中に神様が聖霊を注 いでくださって、神の言葉としてくださる。そ うして神様は、キリストの十字架と復活の恵み を、福音として受け入れ、信じ、生きる、価値 観を変えて新しく生きる人を起こしてくださ るのである。

◇人間の知恵によって「キリスト教についての 知識」は伝わるだろう。しかし、福音が恵みで あること、私たちを変えてくださる力があるこ とは伝わらない。すると私たちは、黙らざるを 得ないのだろうか。そうではない。私たちは語 り続けなければならない。福音を取り次ぐ私た ちの言葉は拙くても、それを通して神様が働い てくださる。福音を聞いた人が、神様の前に自 分が罪人であるということに気づかされ、新し く生きることができると知り、福音を受け入れ ていく。信仰が出来事として起こるのである。 十字架の出来事を通して、神様の霊が私たちに 注がれ、知恵と力が与えられるのである。私た ちはそう確信して、新たな思いで、十字架の主 を見上げて歩みを進めよう。