◇「迷い出た羊のたとえ」について、ときに「1匹 の迷い出た羊を探すために99匹を山に残して羊 飼いが群れを離れてしまったら、99匹はいったい どうなるのか?」と問われることがある。しかしこの 譬えで私たちが注目すべきなのは、迷い出た1 匹、つまり私である。道からそれて迷子になり、谷 底に落ちてしまった私を、イエス様は救出しに来 てくださるのである。
◇この箇所の前後で、イエス様は「小さな者の一 人」に注目するように促しておられることがわか る。「私は99匹のうちの1匹だ」と考える人は、「私 はイエス様の示される道から逸れない正しい人 間だ」とそう思っていることになる。しかし神様が 求めておられることは「私は小さくて、弱くて、間 違いを犯す罪人です。」と告白することである。
◇今日の箇所の後半は教会で過ちを犯した人 に対して忠告する方法である。特に15節は「あな たに対して罪を犯したなら」と言っておられるか ら、いわばあなたは被害者である。この世的に考 えれば、「相手の方が私の所に来て頭を下げて 詫びを言い、賠償するのが当然だ。」ということに なるが、イエス様はそうはおっしゃらない。被害者 のあなたが出向いて、「主の道に立ち返りなさ い。間違いを正しなさい。」と説得しなさいと言わ れる。落ち着いた口調で、決して傲慢にならない ように、語りかけるのである。その人があなたの話 を聞きいれたら、あなたはその人を救い戻したこ とになる。教会の言うことにも耳を貸さないなら、 「異邦人か徴税人のように見なしなさい。」と言わ れるが、この人が救われなくて良い、と言われた のではない。福音書の中でイエス様が異邦人や 徴税人にどのように接してこられたかを見ればわ かる。
◇そして、私たちの二人が心を合わせるなら、ど んなことでもかなえてくださる、と約束してくださ る。「心を合わせる」という言葉は、声を合わせる ことである。私たちが一致して祈りをささげること ができるなら、神様はどんなことでもかなえてくだ さる。