阿佐ヶ谷教会 礼拝説教集 (2005年3月)   
◆2005.3.27
「復活ー嘆きの谷を泉とする」<復活祭礼拝>

マタイ福音書28:1-10
ヨハネの黙示録1:12-20

牧師 大村 栄


◇ユダヤ教指導者たちはイエスを処刑しただけでは心配だった。弟子たちが墓を掘り返して死体を盗み出し、「イエスは死者の中から復活した」(27:64)と言って人々を惑わすかも知れないと考え、総督ピラトに死体の監視を要請したが、自分たちで対処するよう言い返され、ユダヤ人の番兵が墓の見張りに立った。土曜日のことである。


◇そして今日、日曜日の夜が明けると同時に墓に駆けつけた「1:マグダラのマリアともう一人のマリア」は、金曜日の午後に主イエスの遺体が葬られ、大きな石で封印するのを確認した二人だ(27:61)。彼女たちが最後まで埋葬を確認し、その後は番兵の厳重な見張りがあった。しかし今朝、墓は空になっていたのだ。その光景に「4:番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった」。

◇今朝起こった出来事は、空虚な墓の発見だけである。どうやって生き返ったかは書かれていない。「6:あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ」という天使の言葉を女たちが信じることが出来たのは、「かねて言われていた」言葉を思い出したからだ。彼女らは「8:恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った」。すると「9:イエスが行く手に立っていて、『おはよう』(シャローム)と言われた」。み言葉を信じて立ち上がった者に、復活の主が出会って下さる。

◇その信仰を妨げるのは、人間の合理的な知恵から出るもので、イエスは実は死んでいなかったと考えることだ。死なずに隠れていたから、再び現れても何の不思議はない。帝政ロシア最後の皇帝ニコライ2世など、死体が発見されないためにその死が疑われた例が歴史上にある。イエスの死もそういうレベルで疑われることがあったのではないか。復活など作り話で、最初から死ななかったのだとの主張もあったろう。

◇しかし弟子たちから始まって、教会が伝えてきたのはそんな主張ではない。「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと…です」(1コリ15:3-4)。私たちは死ななかったイエスではなく、死んだイエスを仰ぐ。死んでこそ、人の手によらず、神による新しい可能性を生きる道を開いたのだ。「いかに幸いなことでしょう、あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は。嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう」(詩編84:6-7)。

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◆2005.3.20

「なぜわたしをお見捨てになったのですか」<棕櫚の主日礼拝>

哀歌5:15-20
マタイ福音書27:32-56

牧師 大村 栄

◇十字架につけられた主イエスを、ユダヤ人たちは口々にののしった。「40:神の子なら、自分を救ってみろ」、「42:他人は救ったのに、自分は救えない。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう」…。彼らは誤解している。主はご自分を「救えない」のではない。あえて十字架から降りようとしなかったのだ。そうやって、自分を救わないで他人を救う方だった。

◇「50:イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた」。バッハ作曲の「マタイ受難曲」ではそのあとに、「血潮したたる」の旋律で次の詩が合唱される。「いつか私が世を去るとき、み姿を示したまえ。心うれいに悩む時に、主の痛みによりて救いたまえ」。主はご自分を救うことを放棄し、徹底して人間の絶望と痛みを体験することを決断された。自分を救ったらどうだと嘲られつつ、それをしないで、私たちと共に絶望の中に身を置こうとされるこの方を、私たちは救い主と信じるのである。

◇「45:わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」は詩編22編の引用だが、まさに人間的な絶望の中から発せられた叫びだ。なぜ私がこんな目に遭うのか。この苦しみは誰も分かってくれない。神さま、なぜですか…。私たちはこのような呻きを繰り返す。旧約聖書には神に問う言葉が多い。「哀歌」の原題は「エーカー」、これは「なぜ、なにゆえ」の意味だとされる。バビロン捕囚のただ中、エルサレムの阿鼻叫喚の中で詩人は激しく神に問う。「なぜ、いつまでもわたしたちを忘れ、果てしなく見捨てておかれるのですか」(5:20)。

◇そういう旧約的な問いの集約が詩編22編であり、それを十字架上で「45:エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と人類を代表して叫ばれたのがイエス・キリストであった。その叫びはゴルゴタの風に空しく吹き飛ばされたかに見えたが、三日目に「復活」という驚くべき形で答えがあった。「なぜ」という重い呻きのような問いは空しく終わらず、人間の思いを超え、生死を越えた全く新しい可能性を開く突破口となった。

◇この事実に基づいて、簡単に答えが与えられるのではないけれど、問いを聞いて下さる相手があるという確信が私たちに与えられた。エルサレムの人々が期待した軍馬にまたがる力強き王でなく、または私たちには縁のない超能力を発揮してどんな危機も突破してしまう王でもなく、私たちの不安と苦痛を共に担って下さる救い主として、今日イエス・キリストをお迎えしたい。

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◆2005.3.13

「大胆に恵みの座に近づこう」<受難節第五主日礼拝>

詩編110:1-7
ヘブライ書4:14-5:10

相澤 眞喜 先生

◇礼拝は信仰生活=教会生活の中心である。礼拝の全ては神への讃美であり、信仰の告白である。しかし、礼拝を守ることが外側から、内側から妨げられることがある。

◇ヘブライ人の手紙が書かれた時代は、ローマ帝国の迫害があり、礼拝に出るのをやめてしまった人たち、怠惰な生活をして信仰を捨てる人たちがいた(10:25)。このような状況の中で、イエス・キリストに対する信仰告白を堅持するよう勧め訴えている 手紙である(4:14)。

◇私たちが礼拝するということ、「神に近づく」ということは、大きな恵みであることを旧約の祭儀制度から教えている。イエス・キリストは真の大祭司であり、イエスの死は大祭司が至聖所でささげる一回限りの犠牲である。「偉大な大祭司、神の子イエス」という言葉の中に、この手紙の要点が含まれている。しかも「もろもろの天を通過された」と言うことは、旧約において大祭司が人々の罪のために供え物といけにえをささげるとき、聖所を通り抜け、神殿の至聖所に入って行くように、イエスはもろもろの天を通り抜け神の御座に到達し、そこで職務を果たされたと言うことである。このことはイエスの受肉(誕生)十字架・復活・昇天を意味している。しかもこれは私たちのイエス・キリストへの信仰告白である。

◇「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、、、」とあるが、人間イエスの試練、苦難(2:17-18)は、私たちの弱さの根源である罪を購うためであった。ゲッセマネの園で血の汗を流されて祈るイエス(5:7)、十字架上での執り成しの祈りは(ルカ23:34)、「わたし」のためであった。

◇「メルキゼデク」は、創世記14:18-20と詩編110:4に出てくるだけで「聖書が沈黙しているのは、沈黙の向こうから永遠の声、福音の奥義を聞こうとしているのである」。イエスは「神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれた」ということは、「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方」(13:8)として、私たちの罪のために執り成してくださるのである。

◇「偉大なる大祭司、神の子イエス」によって、神の御座が恵みの御座となった。私たちは「大胆に」即ち「確信を持って」「恵みの座」である礼拝に集い、信仰を終わりの日までしっかりと保とうではありませんか。

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◆2005.3.6
「高い山に登れ」<受難節第四主日礼拝>

申命記7:6-11

マタイ福音書4:18-25

大村 栄 牧師

◇主イエスは十字架への道へと踏み出す前に「高い山」に登り、この道が本当に神のみ旨なのかを問うた。すると主の姿は変貌して輝き、両脇にモーセとエリヤが立った。これは主の歩む道が神の計画であることを示す。M・L・キング牧師が1968年4月4日に暗殺される前夜、教会で語った説教が「私は山に登った」。「そこからは四方が見渡せた。私は約束の地も見た。私はみなさんと一緒にそこには行けないかもしれない。しかし今夜これだけは知って頂きたい。すなわち私たちは一つの民として、その約束の地に至ることができるということである」。

◇「高い山」はそこから四方を見渡し、進むべき道を見定めた上で、降りてきて、更なる旅を続けるための場所である。キング牧師がそこから「約束の地」を見たように、モーセがピスガの頂で約束の地カナンを見渡したように、主イエスもしっかりと進めべき道を見定められた。弟子たちには、それが栄光に輝く道にしか見えなかった。だから記念に「ここに仮小屋を三つ建てましょう」などと言う。しかし主の目には、その道の途中に十字架の影が写っていた。

◇だから下山の途中で言われた。「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」。主イエスがメシア(救世主)としての使命を最終的に全うするのは、十字架と復活においてである。病人を癒したり、嵐を沈めたり、5000人に食料を与えたりという奇跡は救世主の本質ではない。真の救いは十字架と復活によってのみ実現した。それを無視した信仰はキリスト教ではないし、福音ではない。

◇内村鑑三はキリスト教的な思想や活動の氾濫に対し、「我等は基督教を称ぶに新しき名を以てするの欲求を感ずる、而して余は此欲求に応ぜんが為に十字架教なる名を提供する」(1921・大正10)と語った。彼の社会的関心が低かった訳ではない。日本人でアメリカの人種差別の悪を最初に批判的に叙述したのも内村である。しかし彼は社会と人間の問題を最終的に克服するのは、十字架と復活の福音に依ると信じたのだ。

◇神と人との関係を「11:元どおりにする」ため十字架についた主イエスによる和解こそが世界の希望だ。「13:洗礼者ヨハネ」もキング牧師もそのことを語って拒絶され、殺された。しかしその信仰が世界を変えた。

◇私たちも主イエスにならって、高い山で問い、み旨に従う歩みを整えたい。高い山に登ることは、祈りであり、礼拝に連なることである。ここから私たちは「約束の地」への旅を、「一つの民」となって進む。

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