礼拝説教


2021/12/26

「神の救いを見た」

ルカによる福音書2:21〜38
副牧師 上田充香子


◇クリスマスが終わり、世間がお正月ムードになった今、教会でのクリスマスはまだ終わっていない。教会歴では1月6日の公現日まではクリスマスである。2021年最後の日曜日に、主イエスの神殿奉献の箇所について聴く。主イエスが割礼を受け、40日間の清めの期間も過ぎて、エルサレム神殿に、ヨセフとマリアは家族の長子である赤ん坊のイエス様を連れて来た。長男は神様のものであると、神様にお返しし、祝福をいただく。長男が恵みを受けることによって家族全体も恵みの内におかれるからである。

◇そこに2人の老人が登場する。2人とも赤ん坊のイエス様と出会い、神様に感謝し、賛美をささげた。名乗ってもいないこの赤ん坊をイエス様だとどうして分かったのか。このこと自体が神様の奇跡、聖霊の働きとしか言い得ない。特に2人の内の1人であるシメオンという人は、第一声に「主よ、今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。」と言ったことがとても興味深い。シメオンが老人であると聖書には記されていない。「安らかに死ぬことが出来る」と言ったシメオンの言葉は、これからどのように生きるかが意味されている言葉とも言える。このシメオンの姿に私たちを見ることが出来るのではないか。慰めと救いを待ち望み、しかし慰めが訪れず、本当の救いを見いだすことが出来ずにもがき、忍耐する私たちの姿がここにある。しかし、クリスマスにイエス・キリストが与えられたことによって、私たちも救いをこの目で見ることが出来るようになった。万人の為に主イエスが救いを備えてくださったからである。

◇この救いの実現のために主イエスは生まれたと同時に死へと向かって歩み始める。十字架に向かって苦しみの道を辿ってくださる。それは私たち人間の心の思い(罪)が現れるため。自分の罪を知り、神様の前に心から悔い改めるため。しかし、自分の罪に気づいた瞬間から、その罪はキリストの十字架と復活によって赦されるのである。年の終わりに、主へと立ち帰り、新たな年に向かって安らかに生きることが出来る様に備えてくださっているのである。

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