礼拝説教


2021/11/28ー待降節第1主日ー

「イエス・キリストの生涯の物語」

マタイによる福音書1:1〜17
伝道師 上田充香子


◇マタイによる福音書の初めに記されている「イエス・キリストの系図」に私たちは日頃からどれ程、親しんでいるだろうか。読んでいても読み飛ばしてしまう箇所、聖書を読もうとする者の心を挫く箇所のように一見思えるこの箇所には、アドベントのこの時に聞くべき大きな福音が記されている。

◇マタイはなぜこの系図から福音書を書き始めたのか。主イエスが王家の血筋に連なる、いわゆる「血統証付」であることを示すためか。そうではない。イエス・キリストが旧約聖書からの神様の約束の成就であること、罪を贖う救い主であること、それが過去の出来事ではなく、今を生きる私たちの救いでもあることを示すためにあえてこの系図から記したのである。

◇系図に出てくる5人の女性に注目してみると、タマル、ラハブ、ルツ、「ウリヤの妻」であるバドシェバの4名は系図にふさわしいとは言えない者であることが分かる。女性だけではなく、男性一人一人を見てもそれは明らかである。例を挙げてみるならば、「ウリヤ」から妻を奪ったダビデ。「ダビデの妻」でもあるバトシェバがあえて「ウリヤの妻」と記されているのはなぜか。ダビデの罪を顕わにするためである。多くの者が、神様に従うことが出来ず、神様ではなく偶像を拝んでしまう、罪深い者である。そしてその罪の結果、国が滅び、王が途絶え、無名の何の歴史にも残らない大工ヨセフのもとに主イエス・キリストはお生まれくださる。5人目の女性マリアの系図ではなく、敢えて血のつながりを聖霊によって超え、ヨセフの血筋の元にお生まれくださったのである。

◇イエスキリストの系図は「イエス・キリストの生涯の物語」とも言える。罪人の系図ではなく、救いの物語の序章としてくださり、この物語に私たちも加えられてくださる。主イエスの十字架と復活の出来事により、「わたしの兄弟、わたしの姉妹」と私たちを招き、神様を「父よ」と呼びかけることを許し、神の家族として招いてくださっているのである。この主イエスをご降誕を待つこのアドベントのひと時が主の招きに応える時となりますように。

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