礼拝説教


2021/11/14

「神の約束は実現される」

使徒言行録26:1〜11
牧師 古屋 治雄


◇パウロは裁判の場で、ユダヤの王アグリッパに対して弁明している。パウロは、神様が世界をお救いになるという約束を語る。それを語るには、神様がユダヤ人を神の民として選ばれた、その歴史から語らなければならない。遠い国の昔の歴史ではない。そこから語らない限り、現代の私たちの救いは明らかにならないのである。そこにこそ神様の約束がある。

◇人間の考えからすれば成就するとは思えないようなアブラハムへの約束、モーセによる解放、約束の地への導き、ダビデ王朝への約束、捕囚からの帰還、神殿の再建など、神様の約束は常に実現している。そこに希望がある。その希望を宣べ伝えるゆえに、パウロは迫害され、訴えられているのである。

◇かつてパウロは「十字架にかけられて死んだ者はメシアではありえない」という主張をし、イエス様の復活を信じる人々を迫害する者であった。しかしその迫害行為のただ中で、復活してくださったイエス様と直接出会い、神様の約束の歴史に気づかされる。そしてイエス様の復活によって神様の約束が、人間が考えもしない全く新しいところに到達していることに気づかされるのである。

◇私たちには復活の希望がある。今や、死が克服されている。「死」そのものが滅ぼされたのである。その決定的根拠はキリストの復活に示されている。それはもはやユダヤ社会の枠に留まらない。その希望は世界に宣べ伝えられなければならない。このことを知ったパウロはその喜びを語らずにはいられない。だからどんな迫害を受けても語るのである。

◇現実のこの地上では罪の力が私たちを支配している。しかしイエス様の十字架と復活の出来事によって、罪の力、死の力がもはや最終的な力ではないということが明らかになったのである。だから私たちは新しい生き方ができる。私たちは神様の光の中に生きる者とされている。私たちはなお地上の歩みを続ける。しかしこの歩みはすでに塗り替えられている。その事を先取りして良い。私たちはこの日常生活を先取りされたものとして生きることができるのである。

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