礼拝説教


2021/10/31

「神の器として生きる」

コリントの信徒への手紙一6:19〜20
ガラテヤの信徒への手紙2:19〜21
協力牧師 中野 実


◇宗教改革記念日の今日、もう一度プロテスタント教会の信仰上の特徴を再確認してみたい。それは「信仰のみ」「聖書のみ」であり、そして「全信徒祭司性」(万人祭司性)が大事にされてきた。聖職者と信徒という区別はあるが、救いの秩序においても、信仰者の使命においても皆平等だということである。信徒一人一人が聖書を学び、神様の御心に常に耳を傾け、神様から与えられている使命に真摯に取り組むという、信仰の原点に立ち戻ることが求められている。

◇どういう使命が与えられているのか。私たちはまことの創り主なる神様を何よりも信頼しつつ、イエス様と共に、古い自己中心性(利己的な在り方)から解放され、神様を愛し、隣人を愛するという歩みへと積極的に出ていくように召し出されている。

◇コロナ禍の中で多くの知識人、専門家、学者たちが「利他」(利己の反対概念)という価値観の大切さを主張するようになっている。伊藤亜紗編『「利他」とは何か』という本では、「利他」という姿勢を持つことができるのは、ちょうど自分が用いられる「器」のようにされている時だ、と考えている点が興味深い。自分の計画に固執せず、常に他者が入り込めるスペースを持つ器のような存在が必要という主張は、キリスト者の存在、その本質と使命に触れさせてくれる。

◇本日のガラテヤ2:20でパウロは、私たちの中でイエス様が生きて働いてくださり、私たちはただイエス様の働く器として新しく造り変えられた存在なのだと言う。また、私たちの体は神様からいただく聖霊の住んでくださる神殿なのだ、ともパウロは言う。聖霊なる神様は私たちの頑な心に風穴を開け、私たちの内に住んでくださり、それによって大きなスペースができている。この事実を実感できるのは祈る時ではないか。

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