礼拝説教


2021/10/17

「信仰のないわたしをお助けください」

マルコによる福音書9:14〜29
伝道師 上田充香子


◇「病気」ということに敏感になっている昨今、私たちは自分自身、また身近な人たちに向けて病気を心配することが今までよりも多くあったことだろう。今日の聖書の箇所も病気の息子を持つ父親の話である。息子の悪霊に取りつかれたとされる病気を癒していただくために、父親は息子を連れてイエス様のところにやって来た。丁度イエス様が不在だったため、弟子たちにお願いしたが、弟子たちには出来なかった。そこにイエス様がお帰りになった。

◇父親の訴えにイエス様は「いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか」とお答えになった。このイエス様の嘆き悲しみの言葉は弟子たち、父親、群衆、そして私たちにも向けられている。教えても伝わらない弟子たち、「おできになるなら」と保険をかける父親、イエス様の伝えたい教えではなく、奇跡ばかりを噂する群衆、そして愛しても物分かりの悪い私たちこそ主イエスにお叱りを受けなければならないものなのである。しかし、主イエスの「あなたがたに我慢しなければならないのか」ということばは、嘆きと悲しみだけではなく、相手を喜んで受け入れるという意味でも使われる言葉である。イエス様は弟子たち、父親、群衆、私たちを諦めたのではなく、なお愛してくださり、信じる者へと招き入れようとしてくださっているのである。

◇「『できれば』と言うのか。信じる者には何でもできる。」「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」父親はイエス様に信仰を言い表した。息子の病気ではなく、「わたしを」お助けください、という言葉に変えられたのである。私たちも信仰のないそのままの姿で主イエスにすべてをあずけるしかない。父親と一緒に私たちも「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」と叫ばなければならないのである。息子の病を癒し、主イエスの復活を思い起こさせるかのように、私たちも主イエスの十字架によって神様に死から新しい命へ導かれた。その命を主にお返しする歩みをここからまた歩み出そう。

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