礼拝説教


2021/10/3

「裁判で何が明らかにされるのか」

使徒言行録23:1〜11
牧師 古屋 治雄


◇紀元56年頃パウロたちはエルサレムに着き、教会の人たちに会って異邦人教会からの献金を渡し、祈りを伝えた。しかし、律法に熱心なユダヤ人たちが、異邦人を神殿の庭に入れたということでパウロを捕らえ、大混乱が発生した。そのために、千人隊長が兵士を率いて駆け付けてパウロを捕らえた。千人隊長によって弁明する機会が与えられたパウロは復活の主に出会って変えられたことを証しした。パウロから彼がローマ市民であることを聞いた千人隊長はうろたえ、神殿で起こった騒動の真相を確かめるべくユダヤの最高法院の面々の招集を命じ、パウロを彼らの前に立たせた。

◇今日の箇所で大祭司アナニアとパウロとのやりとりはまたまた違う方向に向かう。パウロがユダヤの伝統に違反を行ったかは全く採り上げず、死者が復活するという望みを抱いていることで裁判にかけられているとパウロが証言したために、復活を信じないサドカイ派と復活を認めるファリサイ派との間に論争が生じて最高法院は分裂しパウロについて審議できなくなってしまった。

◇このように、大祭司アナニアとユダヤ人指導者はパウロに対する怒りで正しい対応ができない。神様の正義や真実に従って生きていくことができなくなっている。混乱は千人隊長の対応などローマ側にも見られる。そのような中にパウロは神様によって立たされている。裁かれようとしているパウロによって人間の罪が露呈し、世界の人々にイエス様の出来事が救いの出来事として、この裁判の中で現わされているのである。

◇「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」この最後の言葉が囚人としてローマに連れていかれるパウロによって実現していく。私たちはこの歴史に結ばれている。世界宣教・聖餐日である今日、私たちは聖餐に与ることによって主の民として一つとされていることを知る。私たちも復活されたイエス様の福音が世界に広められていく一翼を担う者となりたい。

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