礼拝説教


2021/9/19

「神の声を聞くという経験」

使徒言行録22:6〜16
牧師 古屋 治雄


◇ダマスコ途上でパウロに起こった出来事が、ここで再び語られている。この出来事はパウロに大きな力をもって臨んでいる。天からの強い光が彼を支配する。はっきりした声が彼の名を「サウル、サウル」と呼ぶ。「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである」と名乗る。パウロは神様から直接呼ばれるという経験をしたのである。

◇パウロ(サウル)はユダヤ教徒として、イエス様が十字架で死んだことを知っていた。死んだはずのイエス様が復活したと信じる者たちが勢力を持ってきて、見過ごすことができないと考えた。キリスト者を捕えるために逮捕状を取得し、まさにダマスコに入ろうとしていたのである。ところが「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」という声に呼びかけられる。復活されたイエス様が直接、呼んでおられる。そのことがパウロに、否定できない事実として現れているのである。神様の直接の言葉を受け、否応なしに神様のご支配に包まれてしまう。彼は一気に変えられ、なすべきことがすぐに、はっきりと示されるのである。

◇私たちは啓示というと、宗教的に特別な人だけが経験するものと考えがちだが、私たちの近づけない特別なこととして閉じ込めてしまうべきではない。啓示は私たちに、古い生き方に終止符を打たせ、新しい生き方へと立ち上がらせる神様の言葉なのである。聖書の言葉がこの私に迫ってくる、この私に聖書の言葉が向けられており、この私がその前に立たされているということに気づかされる、そういう経験をするならば、それは神様の啓示に与っているのである。

◇神様を信じて生きていくということには望みがある。私たちを無にしようとする世の力が働いている中で、神様は私たちに生命を与えてくださる。神様の言葉を経験した者として生かしてくださるのである。イエス様がご自身を現して呼びかけてくださるという経験は、私たちに限定されない。多くの人々に開かれている。神様は私たちを、復活の主を宣べ伝える使者としてくださる。私たちの生命をそのために用いてくださるように祈ろう。

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