礼拝説教


2021/9/12

「自分の過去を話すこと」

使徒言行録21:37〜22:5
牧師 古屋 治雄


◇パウロがエルサレム教会の人々と再会し良い交わりをした直後、恐れていたとおりユダヤの人々がパウロを神殿で捕まえた。この時代、ユダヤは不安定となりローマ帝国に対して人々はユダヤ教を守らなければならなかった。そのような中、ユダヤの伝統を否定しているとされるパウロがこのエルサレムに異邦人キリスト者を伴いやってきたため、ユダヤ教徒たちはこれまでの伝統に抗う輩として一気にパウロたちを攻撃する事態になったのである。

◇熱心なユダヤ教徒であったパウロがキリスト者を迫害していた最中、ダマスコ途上で復活の主イエスと出会う出来事が、ルカの語る使徒言行録の中で三回伝えられる。パウロ自身、諸教会に宛てた手紙の中で、ダマスコ途上の出来事にふれている。その伝え方はルカが伝えている様子と異なっている。第二コリント(12:1−5)、ガラテヤ書(1:12-16)フィリピの手紙 (3:5-8)で、パウロ自身はとても控えめに、そして簡潔に、イエス・キリストからの啓示を受けたこと、それによって以前の生き方が変えられ、イエス・キリストの福音を特に異邦人に宣べ伝える者とされたことを語っている。

◇注目すべきは、パウロが自分の回心の出来事を語り始める時、ユダヤ教徒としてイエス・キリストを信じる人々を迫害し、その命を奪うことをも正統化していた過去を語っている。このことを覆い隠してパウロは今の自分を弁明することはできなかった。今パウロがここに立つことができているのは、復活の主イエスが彼にはっきり出会ってくださり、新しい命に生かしてくださっているからである。

◇パウロの経験は、私たちが経験していることと言える。私たちは、自分の過去を語るとき自分の暗い部分、隠しておきたいことは普通進んで語ることができない。しかし私たちは、福音によって自分の中にはっきりとした立ち位置を与えられる時、自分の過去を安心して自由に語ることができる。私たちの過去すべてがイエス・キリストによって神様の前に執り成していただいており、私たちのこれからの歩みがイエス・キリストによって祝福されているからである。

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