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2021/9/05

福音にとってユダヤの伝統は必要か」

使徒言行録21:17〜26
牧師 古屋 治雄


◇パウロの第3回伝道旅行の最終目的地はエルサレムである。なぜエルサレムに行かねばならないのか。パウロはローマを経てスペインにまで伝道する計画を持っていたが、「しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。」と語る(ローマ15:22以下)。エルサレム教会を支えるために援助金を届けるため、というのも一つの理由だが、パウロには教会が一つであることが大事だったのである。たしかに福音は、ユダヤ人キリスト者によって担われてきた。しかし神の民はユダヤ人だけではない。律法によるのではない。「福音を受けいれる人すべてが神の民になる」のである。ユダヤ人キリスト者にこのことを受けいれてもらわなければならない。だからパウロはエルサレム教会を訪ねるのである。

◇エルサレム教会の人々は神が非ユダヤ人に行われたことがらの報告をパウロから聞いて大いに喜ぶ。しかし、もしパウロが『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と教えているのであれば、伝統を重んじるユダヤ人キリスト者にとって受け入れることはできない。パウロはもともとユダヤ人として伝統を重んじていた。その彼が、割礼や食物規定といった伝統を福音の中にどう位置づけたのか。

◇「キリストは律法の目標であります」とパウロは言う(ローマ10:4)。律法と福音は決して断絶してはいない。ユダヤの伝統を正しく担うために福音を伝道するのである。イエス様の照らしが律法と福音を結んでいるのである。パウロにとって福音の決定的事実に対して、伝統や律法に従うことは必要条件ではない。だからヤコブの「清めの儀式を受け、誓願を立てた4人の若者の剃髪の費用を負担する」という提案を受け入れるのである。真に福音に立つならば他の全ての事柄から自由になる。この自由は「ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。」(Iコリ9:20)というように、すべての人の奴隷になる自由である。

◇私たちにも外から縛ろうとする力にとらわれる危険がある。しかし真に福音に立っているならば、伝統から解放され、信仰に生きることができるのである。

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