礼拝説教


2021/8/15—聖霊降臨節第13主日礼拝—

「福音を伝える旅」

マルコによる福音書6:6b〜13
伝道師 上田充香子


◇イエス様が弟子たちを「悔い改めさせるために」伝道の旅へ出かけるよう命じられた。ただ福音の宣教に送り出したのではなく、悔い改め得させるためにお遣わしになったのは、悔い改めなければ、本当の意味で福音にあずかることが出来ないからである。

◇私たちもこの伝道の旅に出るようイエス様から命じられている。キリスト者として伝道を願う心が与えられた方は少なくないのではないだろうか。しかしその先でその伝道がうまくいかない経験をした方もまた多いのである。それを自分の未熟さや罪深さにする必要はない。この伝道の業に送り出された弟子たちも、私たちと同じく未熟で罪深いものだった。正しい人ではなく、そんな罪人をあえてお遣わしになってくださる主イエスの憐れみをここから知るのである。そして、伝道に使わされる私たちがまず誰よりも悔い改めるべき者であることをも心に深く受け止めなければならない。

◇伝道は一人で行うのではない。イエス様が二人一組で送り出されたように、私たちもイエス様の愛を知らされた者皆で、この旅に遣わされている。この度の持ち物は何も必要ではないとイエス様は仰る。身一つで出かけるようにと。それは、伝道の旅に必要なすべては主が備えてくださることを意味しているのである。自らの生活に思い煩うのではなく、すべてを主にお任せする。そのように何も必要ではないと仰る主イエスが逆に与えてくださるものがある。それは「汚れた霊に対する権能」である。罪から離れさせるためのこの力だけは伝道に必要なもの。人間を生かす福音を伝えるのに欠かさせないものとして与えられた大きな力である。

◇これらすべてを整えていただいて伝道の旅に出る私たちは、旅先でうまくいくことも、そうではないこともあるだろう。しかし福音を曲げるようなことはせず、凛とした強さを持って伝道に当たるべきである。福音を受け入れられない人のために主イエスが十字架に架かってくださったことを覚え、その十字架に私たちもあずかった者として、主が用いてくださる限り、主の愛を伝える者とされたい。

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