礼拝説教


2021/8/8—聖霊降臨節第12主日礼拝—

「涙の再会と別れを越えて」

使徒言行録20:17〜28
牧師 古屋 治雄


◇今日の箇所はパウロがミレトスにエフェソの教会の長老たちを集めて別れの説教をしているところである。異邦人伝道に携わるパウロにとって本拠地であるエルサレム教会との関係は大切であった。9章で「聖なる者たち」とはエルサレム教会の人々を指し、パウロ達のエルサレム教会への献金活動は異邦人教会に自らを閉ざしがちな彼らが異邦人教会に対して自らを開く最も具体的手段であったのである。

◇パウロはエルサレム教会へ急いでいた。しかし、第2回目の伝道旅行の帰路に立ち寄り、第3回目の伝道旅行で2年間滞在したエフェソの教会の人々とどうしても会わなければならなかった。ところが、19節にあるようにユダヤ人の陰謀が渦巻いていたため、危険を避けるために長老たち(=監督者たち:教会の指導的役割を担ってきた人たち)に50km離れた港町ミルトスに来てもらい劇的な再会をした。

◇パウロの別れの説教の中心的な言葉は28節にある。この勧告の言葉は指導者のみならず、群れの一人ひとりにも呼びかけられている。自分自身に気を配るとは、私たちがいつもイエス・キリストの福音に与っていることから受ける、みずみずしい命に生かされているかどうかを自己吟味することである。

◇19節でパウロは「主にお仕えしてきました」と語っているが、このことは「教会に仕える」と同じ意味であり、群れの世話をすることでもあり、イエス様を愛することの具体的現れである。「神の教会」とは「神が御子の血によって御自分のものとなさった」教会であり、父なる神の主導性を意味する。キリストの救いの出来事も父なる神様のご支配と責任の中にあり、今の聖霊が支配する時代にも一貫して神様が三位一体の教会の時代を導いてくださっている。

◇阿佐ヶ谷教会は間もなく100周年を迎え、その準備委員会を立ち上げようとしている。エフェソの教会同様に、私たちも神様が御子の尊い血により自分のものとしてくださった教会として、御言葉の力を信じ、福音に生かされ、福音を伝えていく群れとして新たに造り上げられて前進して行きたいと願う。

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