礼拝説教


2021/6/20—特別伝道礼拝—

「あなたの富のあるところ」

箴言4:20〜27
マタイによる福音書6:19〜21
国際基督教大学 北中晶子牧師

◇特別伝道礼拝は、一般にはキリストの福音を一人でも多くの人に届けることであろうが、もう一つは教会が「外」に心を向けることで自分自身を見直し、新たな信仰の養いを得ることである。教会はキリストによって招かれた罪人の集まりであり、世の罪は教会の罪であることを忘れてはならない。私たちは価しないままその恵みを受けた。まことに、主にあってこそ、世の姿は教会の姿、世の涙は教会の涙である。

◇箴言は「何を守るより自分の心を守れ、そこに命の源がある」と語る。知恵の言葉を聞く耳と心はつながっていなくてはならず、肉体、精神すべての統合された姿、人物像を支えるのが心である。心を守れ、という言葉を主イエスも聞いて育ったのだろうか。

◇宝を天に積め、地上に富みを積むと虫が食い、さびつき、盗まれる事がある、とイエス様は言われる。天に富を積めとはどういう意味か。天は神の国のことである。ここであなたは宝を人に見てほしいのか、主に見てほしいのかと問いかけられる。「神は隠れたことを見ておられる」という言葉を通して「あなたの宝は何か?」と主は私たちに問う。

◇ヘンリ・ナウエンは「愛されている者の生活」の本のなかで、人は愛されているのに、世界は逆のことを語りかけてくる、これは自己否定という最も危険な罠であるという。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という真実の言葉を聞き分けよという。作家トニ・モリスンは「愛されし者」の中で、過酷な奴隷制度の不当性を通して、存在を否定され続けることの不条理を静かに訴える。

◇世のすべての人のため、神の完全な愛のために主は十字架に進まれた。すべての人は神のもの、神の宝であって何ものも、死でさえも、私たちをそこから引き離すことはできない。忘れることも失うこともない方が、うまくいかない地上の私たちの心を引き受けて下さった。自己否定を促す私たちの声のただ中に、あなたは貴く美しい、私の宝だと神の声が響く。「あなたの富のあるところに、あなたの心もある」と主は言われる。

(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com