礼拝説教


2021/05/16

「『死者の復活』は、あざ笑う話しか」

使徒言行録17:22〜34
牧師 古屋 治雄


◇ベレアからアテネに入ったパウロは会堂ではユダヤ人たちと、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。この17章で、パウロと哲学者の人々との討論の様子が丁寧に伝えられ、ユダヤ発祥のキリスト教とギリシャの文化、思想との出会いが報告されている。

◇ここでパウロは思想を論じ合うのでなく、福音だけを告げた。「イエス」とは神々ではなく生きたユダヤの人間で、「復活」とはそのイエスなる方が人々の苦難を担い、十字架で処刑され、三日目に復活して、この世を覆っている死の支配を打ち破ったことを現してくださったこと。「福音」とは、イエスの十字架の死とそこからの復活によって新しく示された神の救いの出来事であり、世界の歴史を一変させる救いの出来事であると説いた。

◇これを受け入れてもらうために、パウロはまず、アテネの人々の信仰心に敬意を表している。そして、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえあることに触れ、その方こそ自分がこれから語る神であると話を進めている。そこを切り口にして、神様は創造主であり、世界のあらゆる人々はこの唯一の神様から命を与えられ、それぞれ民族的な歴史と住む場所を与えられていること。この壮大な神様を敬うためには礼拝のかたちを根本的に改めなければならない、つまり偶像礼拝をしないことを強調した。

◇そしてパウロはキリストの十字架の死には触れずに復活のことだけを語り、神様の新しい救いの時代が到来したことを告げている。それはキリストを死に追いやった人間の罪を明らかにし、それに終わらず、神のキリストを甦らせて下さった力がこの人間の罪を滅ぼしてて下さった出来事であると。

◇アテネでのパウロの説教に対して、ある者はあざ笑い、ある者は「また聞かせてもらおう」と相手にしていない。しかし、ディオニシオやダマリスがパウロの言葉を信じたとあり、その働きは徒労に終わってはいない。死者の復活をあざ笑う人が現在もいるであろうが、私たちはパウロの説いた福音に生きた人々と共に主イエスが復活されたことに希望を持つ生き方をしたい。

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