礼拝説教


2021/04/18−復活節第3主日礼拝−

「商売としての祈りではなく」

使徒言行録16:11〜24
牧師 古屋 治雄


◇パウロの第2回伝道旅行はアジアを出てギリシアのフィリピに至る。そこでリディアという女性に出会い、彼女とその家族は主の恵みによって洗礼を受ける。これはパウロたちの伝道のヨーロッパにおける最初の実りであった。

◇このフィリピの町で彼らはもう一つの出会いを経験する。占いをする女奴隷である。町には、どう生きたら良いか不安に思う人、言葉にならない思いを抱えた人が多くあった。この女奴隷は腹話術のような技を用いて、神の声をまねて、人間の言葉を神託と偽って取次いでいた。これはひとつの信心といえるであろう。しかしカネがかかわる行為だった。彼女の主人たちはこの占いによって利益を得ていたのである。

◇パウロはこの女奴隷から悪霊を追い出す。しかし彼の視線は、この女奴隷という個人が癒されることや、その主人たちの不正を暴くことに留まらない。人々の不安やうめきをタネに金儲けをするようなエセ宗教のありかた、この町の信仰のありかたに問題があると見ているのである。先のリディアのように福音を聞いた者は福音に生きる者に変えられ、正しい祈りへと導かれる。言葉にならないうめきを聞いてくださるキリストがおられる。祈りは聖霊がとりなしてくださる(ロマ書8:26-27)。そしてキリストは私たちが何をなすべきか、はっきりした言葉で語りかけてくださる。それは対価を必要としないのである。

◇初めは正しい礼拝の姿であったのに、いつしか信仰を失い変質していくことがある。イエス様の宮清めの出来事は、いつの間にか神殿が商売の場になってしまった例である。しかしイエス様は私たちのことを「信仰が無くならないように祈っ」ていてくださる。とりなしていてくださる。私たちの祈りを、イエス様はご自身の祈りとして共に祈ってくださる。イエス様ご自身が私たちを贖い、神様の子どもとして生きるように全ての人を招いてくださっている。私たちは、イエス様と共にとりなしの祈りを祈る。そのときイエス様がそこに働いてくださっているということを、私たちは証ししないわけにはいかないのである。

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