礼拝説教


2021/04/04ー復活祭礼拝ー

「復活の主に引き寄せられるペトロ」

ヨハネによる福音書21:1〜14
牧師 古屋 治雄


◇ヨハネによる福音書は、家に閉じこもる弟子たちにイエス様が現れるということが、二度あったと伝えている(20章)。それらはおそらくエルサレムでの出来事である。それに対して三度目はティベリアス湖畔、すなわちガリラヤ湖のほとりの出来事である。弟子たちがガリラヤに来たことはマタイ福音書やマルコ福音書の記述とも一致するが、私たちが注目すべきなのは彼らが漁師の仕事に戻っていることである。なぜ漁師に戻ったのか。

◇実はこのことをイエス様は予告しておられる。「だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る」(ヨハネ16:32) 。十字架を前にして弟子たちは主を見捨てて逃げ去ってしまった。そして十字架の後、主の弟子として生活し、活動した年月を忘れようとして(忘れられるはずもないが)元の生活に戻っていく、そのこともイエス様は知っておられたのである。

◇夜通し漁をしても何もとれない。これが彼らの生活である。しかし岸にイエス様が立って「子たちよ、何か食べる物があるか」と問いかけられる。他の人であれば漁の成果を尋ねるであろう。しかしイエス様のこの問いは明らかに、弟子たちと共に食べるためのものがあるか、という問いである。そして主の力によって多くの魚が与えられ、パンも備えられている。これは5,000人の供食の出来事を想起させる。

◇ペトロは「主だ!」という声を聞いて湖に飛び込む。恥ずかしく思って主から離れようとしたのだろうか。いやむしろ、少しでも早く主に近づきたいと思ったのではないか。主を見捨てるという大きな失敗をしたペトロを、主はあきらめない。見捨てない。御力をもって引き寄せられる。そして弟子たちを福音を宣べ伝える者として完結させ、また私たちをも教会を担う者として御許に引き寄せ、本当の弟子として再創造されるのである。新年度の教会の歩み、私たち自身の歩み、家庭の歩み、社会の歩みが、この復活の主の引き寄せる力、招きの力に導かれていることを受け止めて、それぞれ与えられたところでその働きを担って行こう。

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