礼拝説教


2021/03/28ー棕櫚の主日礼拝ー

「わたしたちは真実を知っている」

ヨハネの手紙一5:13〜21
伝道師 上田充香子


◇2020年度最後の日曜日を迎えた。年度末と同時に教会は受難週を迎える。金曜日に主イエスが十字架上で息を引き取られる、この地上での最後の一週間に心を向ける時である。この日曜日は棕櫚の主日。主イエスがエルサレムに来られたことを皆、心から喜んで、子ろばに乗った主イエスをお迎えした。「ホサナ」と叫んだ。しかし、その人々が金曜日に、同じ人に向かって「十字架につけろ」と叫ぶのである。この変わり身の早さ、罪が私たち人間の姿そのものなのである。私たちは自分自身がどれほど弱い者であるかを知っており、またその弱い私たちの為に父なる神様が独り子である主イエスを十字架に架けて犠牲としてくださったことにより、私たちの罪を赦してくださったことを知っている。私たちはこの出来事を通して「真実な方」を知ることが出来る様にされたのである。

◇この御言葉は私たちに「真実な方」を知らせ、父なる神様を信じる者として永遠の命が与えられていることを忘れることなく、信仰に堅く立つようにと熱く説いている。「死に至る罪」「死に至らない罪」という厳しい言葉もある。死に至る罪とは神様から遠く離れてしまった先にある永遠の命とは真逆の場所にある魂の死を意味している。だからこそ、たとえ罪を犯しても弁護者と弁護してくださる主イエスから、私たちはどんなことがあったとしても、遠く離れてはいけないのである。

◇一人で耐え忍ぶのではない。兄弟姉妹と共に神様から離れることがないようにするのである。その為には兄弟姉妹のために祈ること。神様の御心をたずねつつ祈ることが大切である。オンライン生活が続き、互いの顔を見ることが出来ないからこそ、知らず知らずの間に神様から離れてしまっている兄弟姉妹がいるかもしれない。主イエスがゲッセマネで祈られたように、自らの願いではなく、神様の御心が成るように祈る時、私たちの願いは主によって聞き届けられ、更にはその御心が主によってもう既に叶えられていることをも知らされるのである。受難週、新年度の歩みを主に委ね、十字架の主を見上げつつ歩み始めたい。

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