礼拝説教


2021/02/28

「愛の証し」

ヨハネの手紙一5:6〜12
伝道師 上田充香子

◇受難節のこの期間、主イエスの十字架への道のりに思いを巡らせ、自らの罪を悔い改める時が与えられている。今日の箇所は主イエスが「水と血を通って来られた方」(6節)とまず語られている。この受難節、私たちと同じ罪人となって洗礼の水にあずかられたこと、私たちの罪を負って十字架に架けられ、血を流された主イエスの愛の恵みを改めて知らされる。毎週の礼拝で聴く言葉であるが、この恵みを知らされる度に、私たちの罪が赦され、その度に新たにされていることを忘れてはならない。

◇この救いの恵みを「証し」として知らせるのは「霊」の働きによる。霊は「水と血を通って来られた方」、つまり主イエスを証しするために私たちの元に与えられた。この神様が為してくださる証しを人間が、人の弱さや罪によって妨げるようなことがあってはならない。「人の証し」によって神様の声を遮り、人を不信仰に陥れるようなことがあってはならないのである。しかし、人間がどんなに愚かなものであっても、弱き欠け多き罪人であっても、もう既にその罪を赦し、罪に勝利しておられるイエス・キリストを私たちは知らされている。はるかに大きな愛と救いの御手をもって新しい御言葉と救いにあずからせてくださる恵みを私たちはもう既に受け取っているのである。だから、だれも神による御子の証し、つまり「愛の証し」を妨げることは出来ないのである。

◇この愛の証しを受け入れた時、私たちの命は主イエスの中にある。主イエスの中で生きる私たちは、次は私たち自身が主イエスを証しする者としてこの世に送り出される。「福音はそれを伝える人格を通して初めて伝わる」からである。「収穫は多いが働き手が少ない」と主イエスが仰ったように働き手が少ない現実があるかもしれないが、まずは自分自身が主イエスの弟子として、主イエスに生かされている者としてこの世に出て行き、主の救いを証しする者となりたい。この受難節、主イエスの愛の恵みを改めて受け取り直し、その主の愛を証しする者としての歩みを新に始めたい。

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