礼拝説教

2020/01/17

「「備えられる『転機』」

使徒言行録13:42〜52
牧師 古屋 治雄


◇ピシディア州のアンティオキアでのパウロの説教に聞いている。42節で人々は、次週も同じことを語ってほしいとパウロとバルナバに願い出る。多くの人々がパウロらの言葉を受けいれ、もっと聞きたいと願ったのである。ユダヤ的背景をもつ人ばかりでなく、町中の人がこぞってパウロらの言葉を聞きに来る。その言葉の中心は、イエス様の復活に希望があることと、死を越える力が私たちに注がれていることであった。

◇今日の箇所の少し前、36節でパウロは「ダビデは....朽ち果てました。」と語り、40-41節ではユダヤ人たちに鋭い警告を発している。これらはユダヤ人たちにとって快い言葉ではなかった。ユダヤ人たちはそれを嫌悪し、否認した。つまりパウロとユダヤ人たちの間に強烈な緊張関係があり、パウロらの言葉は、ユダヤ人たちには容認できなかったのである。45節を注意深く読むと、その憎悪や嫌悪を分けて考えることができる。ひとつはパウロその人へのねたみ、もうひとつとは彼が語る内容への反発である。パウロは他人の自分に対する評価からは自由である。彼には神様の評価だけが重要だからである。しかし彼が語る内容についての批判は放置できない。46-48節で弁明するのである。救いのみ言葉は、それを拒否したユダヤ人の内には実を結ばなかったが、異邦人のうちに豊かに実を結ぶこととなったのである。

◇福音の言葉は、決して「なかったこと」にはならない。必ず出来事を生み出す。イザヤ書の言葉を思い出そう。「そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす。」(イザヤ55:11)

◇伝道に励もうとするとき、相手に言葉が伝わらず気落ちすることがある。しかし福音を信じて生きようとする時、神様のみ旨が私たちを活かし、思ってもみない『転機』が備えられる。み言葉が『転機』を生み出してくださる。み言葉は生きている。教会には力が注がれている。希望の光がある。私たちの役割を、希望をもって担おう。顔を上げて歩んで行こう。

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