礼拝説教


2020/01/10

「朽ち果てる人間を救う神」

使徒言行録13:26〜39
牧師 古屋 治雄


◇神様は私たちに何をなしてくださっているかを聖書の御言葉をとおして日曜毎に呼び掛けてくださる。今日の御言葉は2000年前、使徒パウロがピシディア州のアンティオキアのユダヤ人会堂で語った説教である。

◇26 節以下に語られていることはすでに繰り返し語られていたことであるが、それはクリスマスに来られた御子イエス・キリストが死刑の宣告を受け、そして実際に死なれ、そこから神様によって甦らされたということである。この説教を聞いていた人々は神の民であるユダヤ人が多く、旧約聖書をよく知っている人達である。パウロはここで神の民が救いの歴史の中に生かされていることを語った。ユダヤの民の歴史にイエス・キリストの十字架と復活という決定的な新しい視点が与えられたのである。創造信仰と甦りの信仰が一緒に結びつく時に、救いの歴史を信じる信仰が初めて意味をもつ。

◇主イエスは地上の御生涯の中で人々が期待する奇跡を行うことや、人々の心の中にある神様に対して反抗する思いを最終的に明らかにするために十字架に向かわれたのではない。確かに主イエスを死へと向かわせたのはユダヤ人指導者たちであったことははっきりしている。しかしパウロはここで主イエスの死とそこから復活されたことの中に、父なる神様の本当の御心が示されていたことを語っている。

◇パウロはこの説教の中で、主イエスを復活させてくださった神様の力をダビデと主イエスとを比較するかたちで述べている。ダビデは神の民の歴史の中で大きな使命を果たし尊敬される王となった。しかし、36 節に「ダビデは朽ち果てました」とあるとおり、ダビデは復活の希望に与ることはなかった。

◇私達は死の不安を感じる弱さを持っているが、主イエスが私達の死を担ってくださり、甦られたことを知らされている。それにより、私達には朽ち果てないものとして生き、死んでいくことができるという希望が注がれているのである。2021年の私たちのすべての歩みの中でこのことを覚え、イエス・キリストの復活の命に生かされているものとして証しつつ歩みたいと思う。

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