礼拝説教


2020/01/03

「地の果てまで主の救いの御業を見る」

詩編98編
牧師 古屋 治雄


◇詩編98編は、「新しい歌を主に向かって歌え。」で始まる。この新しさは、新年の新しさとは異なる。今までに経験したことのない、神様の救いの業の新しさを賛美する歌である。この詩編は、出エジプトのような、過去になされた救いのできごとを賛美しているのではない。3節の「地の果てまですべての人はわたしたちの神の救いの御業を見た。」というようなことは今までに起きていないからである。この詩編はクリスマスにおけるイエス様の到来を、今までにない、神様の大きな救いの御業の成就として指し示しているのである。

◇年末の祈祷会などでマタイによる福音書が伝えるヨセフの行動を学んだ。予期せずクリスマスのできごとの当事者となったヨセフは困難の内にも、御子を迎え入れ、喜びにあふれた。ところがヘロデ王による幼児殺害の危機という事態によりエジプトへ避難せざるを得なくなった。しかしこれは単にヨセフが労苦した物語で終わるのではない。今度はエジプトを出てナザレに向かう時が与えられるのである。これは「新しい出エジプト」である。この時、神様はヨセフ以下、家族を守り、支え、祝福し続けられたのである。クリスマスの出来事は一過性のイベントではない。インマヌエルなる神、キリストを受けいれることによって、私たちは、神様の力によって、生活を根底から支えられるのである。

◇イザヤ書42章は、王国滅亡、捕囚という極めて困難な時代を経験したイスラエルの人々に向けられている。9節以下に「見よ、初めのことは成就した。新しいことをわたしは告げよう。」との預言がある。実際、その預言から50年の忍耐の後、民は帰還を果たすのである。詩編98編はそれよりもはるかに強い確信の歌、信頼の歌になっている。

◇人間は困難の中で、視野が狭くなりがちである。しかし私たちは、大きな救いの業に招かれ、すでにその中に生かされている。それゆえ世界を、時代を展望する力が与えられている。だから私たちは委縮せず、神様から授かった業を、足元からなしていこう。神様は私たちを通して救いの御業を進められる。

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