礼拝説教


2020/10/10-神学校日・伝道献身者奨励日礼拝-

「道を進まれるイエスに従った」

マルコによる福音書10:46〜52
詩編17:6〜7
東京神学大学神学生 李 曉静

◇本日の聖書箇所は「盲人バルティマイをいやす」であるが、盲人に視力が与えられただけの話ではない。見えるようになった盲人が主イエスに従った、主イエスの弟子になった話である。

◇バルティマイはイエスが神様である、救い主である、自分のすぐそばにおられることを、目ではなく、耳で聞くことによって知った。私たちも同じである。主の姿が、私たちの目では見えない。主を知るには、私たちは耳をすまして、イエスについての証を、聖書のみことばを、説教を通して聴く他ないのである。聴くことによって、主が私たちのすぐそばにおられる、私たちを導き、守ることを知らされる。

◇「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」。イエスはバルティマイの叫びを聞き受け入れ、彼に、勇気を与えられ、ご自身が立っておられるエルサレムの道、十字架の道に呼び寄せた。バルティマイはイエスの呼びかけに直ちに応答し、唯一の財産である上着を脱ぎ捨て、イエスに従い、イエスの弟子になった、イエスと一緒にエルサレムへ上り、十字架の出来事を、開かれた目でしっかりと見た、そして、キリストの証人として、十字架の出来事を語り続けただろう。

◇彼はイエスを求めた時、救われる、従う、信仰などを、おそらく考えていなかった。私たちもそうである。救い、罪、信仰、十字架の意味、これらのことを理解してから教会にこられたのではないと思う。私たちも彼と同じ、ただ神様の憐れみが欲しい、光が欲しい、自分の人生を変えられたい、助けられたい、そういう思いで、神様を求められたと思うのである。「あの男を呼んで来なさい」私たちもまた主の呼びかけによって、主に従うものに変えられ、主を見つめて、頼り、神の国へ進んでいくのである。そして、私たちは盲人を呼び寄せた人々と同じ「立ちなさい。安心しなさい。お呼びだ」、この主の招きを伝えるために、生かされるのである。
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