礼拝説教


2020/09/27

「悔い改めて命を得る民」

使徒言行録11:1〜4、18
牧師 古屋 治雄

◇初代教会の伝道がどのようになされたかを私達は使徒言行録によってつぶさに知ることができる。使徒達は大きな困難に直面しながら、聖霊の導きによってその一つ一つが乗り越えられていった。ペトロが地中海沿岸の地でユダヤ人以外の人々に伝道したことが9章後半から伝えられているが、10章のコルネリウスへの出来事、彼の家で異邦人にも起きた聖霊降臨の出来事によって、福音が主イエスの約束通り地の果てまで広がっていく。今日の聖書の箇所はその一連の出来事の最後のところである。

◇8章でエルサレムの教会に迫害が起こり、ギリシア語を話すユダヤ人キリスト者たちが散らされてしまったが、使徒たちは迫害を受けずに留まることができた。それは、ユダヤ人として律法を否定していないと見なされていたからであり、ユダヤの律法を大切にしつつ、神様からの使命によってイエス・キリストの福音を伝えていたのだ。

◇ペトロがエルサレムに戻ると、残っていた他の使徒たちと兄弟たちに、異邦人と一緒に食事をしたことを非難された。彼らは異邦人たちも神の言葉を受け入れたことを評価していたが、そのことを受け入れていたのではなかった。使徒言行録を伝えているルカは、福音の世界宣教の働きはまだ完結していないことを伝えている。

◇非難されたペトロは事の次第を順序正しく説明した。不思議なことに、この報告を聞いてエルサレム教会の重鎮たちは静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。ペトロの報告の中にも聖霊が働いてくださった。静まって語ったこの短い言葉はイエス・キリストの福音の中心点を語っている。

◇ここで語られている「命」とはイエス・キリストの復活の命に結ばれて生きる命である。私たちがイエス様を十字架の死へと追いやったことに蓋をしたままでは与ることができない命である。神様の憐れみはイエス・キリストを通してすべての人に注がれ、主の復活の命に共に与ることのできる新しい生き方、新しい命に生きる者とされていることを告げている。

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