礼拝説教


2020/08/23ー聖霊降臨節第13主日礼拝ー

「神の確かさを信頼する」

ヘブライ人への手紙3:7〜14
協力牧師 中野 実


◇新型コロナウイルスの感染が刻々と変化する中、私たちの生活から「確かさ」が失われている。信仰とは、私たちにイエス・キリストを下さった神様を信頼すること、神様が示して下さった確かなことを大切にする心である。今の社会、世界の歩み、自分の人生において確かなものを見いだすことが難しくなっている中で、信頼出来る方を見いだすことが出来るのは幸いなことである。

◇このように信仰の道は平坦なものではなく、さまよい、迷い、転んでしまうこともある。しかし、大切なことは神様が示して下さった道を信頼して外れないことである。ヘブライ書の著者はモーセに導かれ荒れ野を40年間さまよったイスラエルの民に目を向けるよう導く。これは、今の私たちにこの民のように心を頑なにしてはならないという警告である。

◇森有正という哲学者のキリスト者は言う。人生や信仰の歩みのような冒険には必ず危険がつきまとう。この予想外の出来事に自分の心の軸をしっかり結びつけることが大事であり、そのことと共に生き、苦しみ、学ぶことにより、自分の魂も豊かにされると。

◇私たちは神様の御心に対して心を閉ざし、自分の価値観、欲望、判断に合う部分だけを切り取って生活しがちである。そうではなく、心を柔らかに、御言葉に耳を傾ける必要がある。3章14節の言葉に「最初の確信を最後まで持ち続けるなら」という言葉がある。この「確信」という言葉はむしろ「確かさ」と訳すべきである。なぜなら、これは私たちの「確信」ではなく、神様の「確かさ」を表すからである。ヘブライ書が語るのは、神様が私たちの心の中で始めて下さっている御心の確かさにしっかり最後まで留まっていなさいと言うことである。

◇神様の確かな御心には、私たちの知恵を超えた理解しがたい、しばしば苦しみ、つらさが伴うことがある。このようなとき、神様は私を新しく形作って下さるのだと感じる瞬間に幸せを感じる。人間の確かさ、世界の確かさが崩れ去っていくときにも、神様の御心の確かさを信頼してこれからの一週間を歩み続けていきたい。

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