礼拝説教


2020/06/28

「お金で買えるもの、買えないもの」

使徒言行録8:14〜25
牧師 古屋 治雄


◇神様から聖霊の導きを受けて教会の歴史は始まった。聖霊を受けて始まった教会は、迫害を受けて各地に散らされていく。彼等は行くべき所を新たに見据えていた。それはイエス・キリストを宣べ伝えることであった。その中にサマリアへ行ったフィリポがいた。サマリアでは初めて伝えられるキリストの福音が受け入れられ始めていた。

◇サマリアではシモンが魔術を使って人々の心を捉えていた。シモンはフィリポについて行きたいと尊敬の念を持つ者ではあるが、神の支配の中に生きる者ではなかった。彼はペトロとヨハネが聖霊を人々に注ぐのをみて、お金と引き換えに聖霊を授ける力を下さいと申し出た。

◇お金をもってしてでも、なんとか解決してほしい。助けてほしい。そう思うような現実は私たちの中にもあり、誰もが持っている。そういう私たちのためにイエス様は十字架にかかり、それにとどまらず私たちを新しい命に与らせて下さった。それを理解して初めて聖霊を受けることができる。

◇ペトロはどうしてもシモンに言わなければならないことがあった。イエス様を尊敬し、その力を頂きたいと願うだけでは駄目だ。自分の中に自己中心的な考えがあることに気づくこと、すなわち「悔い改め」がなければ、神の御霊に与ることはできないということである。シモンはそれに気づくことができなかった。

◇イエス様が現して下さった力は対価での買い取りとは全く異なるもので、神様に無心にすがり、神様の憐れみに気づくことであった。マタイ10:8で「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」とイエス様は言われた。神殿の傍らで物乞いをしている人に向かってペトロは言った「金や銀はないが、持っているものをあげよう。」ここに教会の姿がある。

◇神様の恩寵は一方的な恵みである。対価の発想から私たちを解き放って自由にして下さる。ただただ感謝をして受け入れることができる。恵みの支配を人々に知らしめ、それに招き、招かれた人々とそれを喜ぶ。教会はそういう使命を持っている。この恵みの中で7月の歩みに向かって行きたい。

(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com