礼拝説教


2020/06/14

「教会は預言者の伝統に立つ」

使徒言行録7:51〜8:1a
牧師 古屋治雄

◇使徒言行録は初代教会の様子を伝えている。しかし単に歴史として過去の事柄を伝えるだけでなく、ペトロ、ステファノ、フィリポ、パウロらの説教を通して聖霊の働きを生き生きと伝えている。ステファノは、地上におられたイエス様に直接会ってはいないが、使徒の呼びかけに応え、聖霊によって福音を受けいれる者とされ、新しい人として創造され、ユダヤの伝統の枠を越えて福音を伝えるために立てられた。そしてその説教を通して、時や場所を越えて、私たちにも語りかけているのである。

◇ユダヤの人々は律法と神殿を信仰と生活のよりどころとしていた。律法はモーセが伝えたものであり、神殿はソロモンが建てたものである。しかしステファノは、モーセ自身の言葉(申命記18:15)を引用して、モーセの後に立てられた預言者には従うべきであると言い(37節)、またソロモン自身の言葉(列王記上8:27)や預言者の言葉(イザヤ66:1-2)を引用して、神様は神殿には住まわれないと語る(48節)。神様はたびたび、モーセ、ダビデ、ソロモン、イザヤといった預言者たちを通して律法が命の言葉として聴かれていないと指摘し、神殿での礼拝が心から捧げられていないことを告発してきた。

◇これに対してユダヤ人は心から応答することができない。預言者たちをことごとく迫害し、イエス様を無視し、十字架にかけ、復活を信じることができず、見えないが聖霊を通して働いておられるイエス様を受けいれることができない。ステファノはユダヤ人のこうした態度を聖霊に逆らっている(51節)と述べる。その言葉は厳しい。しかし、糾弾しているのではない。神様を知るからこそ、こんな生き方でなく、神様の命に生きられるように悔い改めてほしいから言うのである。

◇しかし言っただけでは終わらない。ステファノは、殺害されようとしているこの時にとりなしの祈り(60節)を祈る。預言者の働きは必然的にとりなしに向かう。私たち一人ひとりにも預言者として、とりなし手としての働きが委ねられている。そしてその業は教会を通して聖霊なる神様に支えられて可能になるのである。

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