礼拝説教


2020/05/31

「神は今、世界に働いておられる」

使徒言行録2:1〜13
牧師 古屋治雄

◇教会が大切にしてきた三大主日のうち、ペンテコステはイエス様が目に見える形では中心におられない。この点がクリスマス、イースターとは異なる。イエス様は昇天され、使徒たちの目には見えなくなった(使徒言行録1:10)。しかし目に見えなくなったことは、いなくなられたことを意味しない。そうではなく、イエス様は今なお生きておられ、今まで以上に私たちに力を注いでくださっている。

◇イエス様の十字架の死で弟子たちは悲しみに沈んだ。イエス様が単に死者であれば、人間にできることは忘れないこと、追慕することだけである。しかし「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。」(ルカ24:5)という天使の言葉が響く。イエス様は死んだままではおられないのである。弟子たちの裏切りを赦し、悲しみから引き上げ、喜びのうちに置いてくださる。それが復活の出来事である。

◇ペンテコステは弟子たちに、今まで以上に大きな力が注がれた出来事であった。見えなくなったけれども、なお共にいてくださるイエス様の圧倒的な力によって、彼らは様々な国の言葉で語りだす。もはやペトロはガリラヤの漁師ではない。大胆に説教をする(2:14以下)。これは人間の決心や努力ではなく、イエス様の激しい臨在、キリスト経験である。裁かれるべき私たちが、聖霊により恵みを注がれ、赦され、用いられ、恵みの湧き出し口となる。私たちのキリスト経験は証しとなっていく。イエス様が私たちを派遣された(ヨハネ17:18)ので、その証しは身の回りといった狭い範囲にとどまらず、世界中に宣べ伝えられるのである。

◇この恵みを受け止められず、あざける者もいた(2:13)。これが世の現実である。それどころか激しい迫害もある。しかしイエス様の予告のことばを心にとめよう。「一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る」(マタイ10:23)。教会はくじけない。聖霊の力強い導きを受けて歩みを進めて行く。神様の力がこの業を完結させてくださる。その希望に教会が位置づけられているからである。

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