礼拝説教


2020/04/19ー復活節第2主日礼拝ー

「神の愛の実現」

ヨハネの手紙一2:1〜6
伝道師 上田充香子


◇先週はイースターを各所においてお祝いした。私たち、また全世界の罪のために、罪の全くない主イエスが十字架に架かり、死んでまた復活してくださった。それがイースターの出来事であった。

◇イースターの出来事によって罪赦され、この出来事を心から信じたいと願って授かった洗礼によって私たちは新しい命に生きる者とされた。罪の中から救い出された者として、生きるべきである。しかし、生き「ねばならない」というのではなく、3節に記されているように、ご自身の言葉と愛によって神様はもう既に私たちにご自身を知らせてくださっている。そして、神様が私たちに聖霊なる神様を与えてくださっていることで、主イエスの言葉と愛を求めて生きるように導かれている。だから逆に「『神を知ってる』と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内に真理はありません。」(4節)とあるように、新しい命にあずかりながら、聖霊に逆らって神様の愛を求めない生き方にはズレが生じ、偽り者となる。

◇主イエスは復活し、弟子たちの日常である家の中に現れてくださり、食事を共にしてくださった。主イエスは私たちの日常に働いてくださっている。その主イエスの言葉と愛を求めて生きる時、「神の愛が実現」(5節)している。完全に生きることは人間の力では出来ないが、神様の言葉と愛とを熱望して生きることは出来るのではないだろうか。

◇私たちの内で神の愛が実現する時、私たち自身が神の愛の内に置かれていることが分かる。神様の内側に置かれ、主イエスの愛に満たされていることを知るのである。神の内に置かれた私たちは、「イエスが歩まれたように、自らも歩まなければな」(6節)らない。失敗しても、罪に陥ってしまうことがあっても、その度にかけられる神様からの裁きの場にはいつも弁護者である主イエスがいてくださり、「この裁きについては、もう既に私が代わって受けている」と神様との間に立ってくださる。だから私たちは安心して、神様の内に思いきり飛び込んで生きることができるのである。

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