礼拝説教


2020/04/05ー棕櫚の主日礼拝ー

「闇が力を振るうただ中で」

ルカによる福音書22:39〜53
牧師 古屋治雄


◇今年度の標語聖句は、週報の折り目のところにある?コリント15:58の御言葉である。主日礼拝、諸式、イースター礼拝までもが通常の形では守れないが、このような時にこそ、この御言葉はますます意味を持つ。

◇「動かされやすい」ことを私たちは自覚すべきである。闇の力は私たちを不安、恐れに陥れ、滅びと混とんに引きずり込む。そればかりか社会を引き裂き、混乱させる。しかし神様の言葉は日々私たちに呼びかけ、働きかける。受難週の日々、週報に日ごとの聖書日課を記した。それぞれの場所で祈りを合わせよう。

◇今日の聖書個所は、イエス様がオリーブ山で祈られたこと、そして捕らえられるまでを記している。そこでの弟子たちの行動はバラバラに見える。誰が一番偉いかと論じ合ったり、イエス様となら死んでもよいと豪語したり、肝心な時に眠りこけたり、裏切る者もおり、皆が逃げ出したりした。一貫性のない動きに見えるが、しかし一貫して人間の性質を露呈している。それは私たちの姿でもある。神様は私たちを神の支配の時に招いておられる。しかし弟子たちは人間の時にしか生きていない。神の愛を拒否しているのである。

◇「しっかり立ち、主の業に励む」ことは人間の努力で実行できることではない。私たちのために血の汗を流して祈ってくださり、十字架の死によって命を捨てて私たちを守り、復活してくださったイエス様が、私たちを呼び寄せ、神の恵みの支配の時に生きる者としてくださり、「しっかり立ち、動かされない」者に変えてくださるからこそ可能になるのである。「だが、今は」とイエス様は言われる。闇の支配はいつまでも続くわけではない。やがて神の恵みの支配の時が来る、否、すでに来ているのである。

◇標語は「愛する兄弟たち」と呼びかける。イエス様は私たちを愛し通し、新しい生命に入れてくださった。だから教会よ、愛する群れになりなさい、と勧めるのである。「主の業に励む」とはイエス様の十字架、復活、救いを覚えて福音に生き、それぞれの置かれた場所で、各々の業をなすことである。このことを心に受けとめ、この年度を歩んで行こう。

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