礼拝説教


2020/03/29ー受難節第5主日礼拝ー

「神の新しさに生きる」

使徒言行録17:16〜21
協力牧師 中野 実


◇新型コロナ・ウイルスの問題はあっという間に世界全体を覆い尽くし、世界中の人の生活に大きな打撃を与える問題へと発展し、私たちは大きな不安の中を歩んでいる。そのような中で私たちは何に心を向けるべきであろうか。それはすべての創り主であり、私たちにイエス様を下さった真の神様が私たちに何をして下さったのか、今何をして下さっているか、これから何をして下さるのかということである。

◇4月12日は復活祭であるが、イエス様にとってあの悲惨な十字架は終着点ではなかった。悲惨を突き抜けて新しい命へと進んで行かれた出来事であり、これは天地創造の神にしか出来ない新しい創造の御業であった。この復活の出来事は、私たちも与ることができることで、イエス様はそれを先だって経験して下さったのである。

◇パウロはギリシャの都アテーナイにやってきて、人々がいろいろな神々に囲まれ、迷信や偶像に振り回されて暮らしていることを見る。それに疑問を感じていたのが哲学者達であったが、パウロの語る復活を理解出来なかった。聖書の証ししている恵みと憐れみに満ちた神を理解出来なかったのである。私たちの神様は常に私達を支えて下さる方で、御心は常に新しい仕方で私達に注がれている。被造物がもだえ苦しんでいるなら、それを新しく創り直そうと私たちの思いを超えた仕方でなさる。

◇大事なことは神様がこの新しい創造の御業を行われるのに人間を用いられることである。私達は神の似姿に造られた。しかし人間は罪に陥り、神の似姿を失ってしまった。そのために神様は私達にイエス様を下さって、再び神の似姿を私たちの内に回復された。この回復された似姿とは人間に与えられた賜であり、私たちが神様に用いられて何か新しいものを創り出すことが出来ることである。それに参与することが私たちに与えられた恵みであり使命である。今、世界全体を不安が覆って、新しい行動へ踏み出すことが出来ない私たちであるが、神様はすでに私たちを通して新しい業を始めて下さっている。そのことに気づき、神様を信頼して新しい一歩を踏み出したい。

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