礼拝説教


2020/03/22

「光の中を歩む」

ヨハネの手紙一1:5〜10
伝道師 上田充香子

◇新型肺炎の影響で、礼拝堂に集ってささげる礼拝が出来なくなった。不安や、悲しみによって、暗闇のような世界が広がっているように思う。その暗闇に乗じて、人間の思惑や欲望、醜さや弱さもつぶさに見る。目を背けたくなるようなことばかりである。しかし、私たちは確かにこの世を歩んでいるのである。

◇「歩む」という言葉はこの聖句には何度か登場する。「歩む」は「歩く」という意味だけではなく、生きること、生活すること、人生、それらの意味をすべて含めて使われている。

◇その私たちの歩みのために、聖書が語るのは「神は光」であるということ。そして、その神の光の中に、私たちも加えられている、光の中を歩む者とされている、ということである。私たちは悲しみや不安の暗闇のような世界の中にある、人間の欲望や醜さである闇の中を歩んでいた。しかし、光であるイエス様がその闇の中に血を流して入ってきてくださった。ご自分の命を代償に私たちを闇の中から救い出してくださった。だから私たちは、闇の中ではなく光の中を歩む者とされたのである。

◇しかし、罪とまったく無関係なわけではない。私たちはいつでも自ら罪である闇を作り出し、その中を歩んでしまう。そのような罪が私たちの中には確かにある、ということを直視しなければならないのである。私たちの犯してしまった罪を神様の前で嘘ではなく、真理(イエス・キリストの救い)に生き、素直にその罪を差し出し、謝る。その私たちの告白を神様は聞き、受け入れ、赦してくださるのである。なぜならその罪は、私たちが光に加えられた時点でもう既に赦されているものだからである。

◇私たちは光の中を歩む者とされている。1人で歩むのではない。神の家族と共に歩むのである。「互いに交わりを持ち」と書かれているように、1人で暮らしていようと、直接会って話すことが出来なくとも、同じ神様を礼拝し、イエス・キリストを中心とした交わりがここにある。私たち1人1人が神様の確かな何にも変えることの出来ない光の中で、神の家族と共に新たな週に歩み出ることが出来ますように。

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