礼拝説教


2020/01/26

「魂のよりどころ」

ペトロの手紙一4:12〜19
伝道師 上田充香子

◇キリスト者だからこそ受ける苦しみがある、とこの箇所は語る。ペトロの手紙が書かれた背景に迫害があった。2020年の日本はキリスト者であることが直接死に値するような環境には置かれていない。しかし聖書の通りに生きたいのに、そう出来ない社会の中を生きなければならないという現実がある。キリスト者であることによって、「よそ者」のように見られることもある。非難され、恥ずかしめられることもあるかもしれない。キリストに誠実に生きようとするほど、キリスト者故の苦しみは大きくなる。神様の御心とこの世の狭間に挟まれるからである。しかし、今日の聖書の箇所は、キリスト者故に受ける苦しみに対して、「驚き怪し」(12節)む必要はない、と語っている。この苦しみは私たちの信仰が問われている試練な! のである。

◇キリスト者としての試練にあっている時、私たちの心は外側から揺さぶられているのである。しかし、その試練に耐えられなくなった時、キリストに誠実に生きることが出来なくなった時には、新たに、内側からの試練、苦しみと戦わなくてはならなくなる。15節「人殺し、悪者、あるいは他人に干渉する者」となることがないようにしなければならない。ペトロも外側からの苦しみ、試練を受け、揺さぶられ、最終的にはイエス様を知らないと言って、イエス様を悲しませてしまった。私たちもペトロと同じ罪人である。しかし、その私たちの弱さ故に犯してしまう罪を神様はイエス・キリストの十字架によって赦してくださった。私たちはその弱さを知り、弱さ故に伴う苦しみをこれからもキリストと共に担って生きるのである! 。

◇この神様とイエス・キリストの愛に生きる時、私たちは外側から受けるキリスト者故の苦しみをも、主イエスが共に担ってくださっていることに気づかされる。キリストとの交わりにおいて、キリストとひとつとなって生きる先には喜びがある。終わりの日に喜ぶものとされる。神様のただ一方的な憐れみによって救われた私たちは、これからも共に私たちを担ってくださるイエス・キリストに魂を委ねて歩むものとされたい。

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