礼拝説教


2020/01/12

「反発か、悔い改めか」

使徒言行録2:29〜39
牧師 古屋 治雄


◇使徒言行録において、ペトロは福音を大胆に語り、ペトロのこの説教によって多くの人が洗礼へと導かれている。今日の私たちの教会の実情と比較するとき、この大きな宣教の実りはルカにより理想化されて伝えられているのではないかと思うほどであるが、私たちはそうでないことに気付かされる。

ペンテコステの日、人々は、他国のことばで語った人々を酔っているのではないかと嘲ったが、ペトロはそれを払拭して語り始めた。ペトロの大胆な語りを受け止めている人もいたが、そうではない人々もいた。4章でも説教後のことが伝えられているが、聞いている人の間に反感が起こり、説教者が捕らえられている。戦いを経験しているのである。

今日の我々の目から見ると、伝道が直面している問題に教会の弱さを覚え、大胆に福音を語ることに萎えてしまうことを認めざるを得ない。初代教会でペトロは何を語っているのか、説教の中身に注目する必要がある。特に注目すべきは22-23節で「このイエスをあなた方は十字架につけて殺してしまった」とはっきりと言っている。このペトロのことばを人々が反感を抱かず受け入れたのは驚くべきことである。

それはその前後でペトロの語ったことばを見なければならない。そこには神の計画があったと語るが、そこで終わらずに、神はイエスを甦らせてくださったとし、イエスの復活の事実へと人々を導いている。十字架に追いやった使徒の責任は人々にも増して重いが、自分自身を棚上げにして語っているのではない。ペトロ自身が彼を支えている恵みを通して証しているのである。だから人々に受け入れられたのであり、これは奇跡である。

そして、あなた方に聖霊が降るという具体的なことが起こる。聖霊の注ぎを受けて私たちが主イエスのことばに立ち帰るとき、私たちを新しく生きるものに変えて下さる。恵みの業により刈り入れることができる。私たちはこの恵みを存分に受けて、それぞれのところで証する、そのように歩んで行きたい。

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