礼拝説教


2019/12/22—降誕祭礼拝—

「あけぼのの光が我らを訪れた」

ルカによる福音書1:67〜80
牧師 古屋 治雄


◇キリストの御降誕を祝う讃美は、ルカによる福音書でもマリアの賛歌、ザカリアの預言(讃美)、シメオンの讃美、羊飼いの讃美など多く語られている。2章14節では天の大軍が加わり「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と世界全体に鳴り響く讃美がうたわれる。

◇このクリスマスの喜びの讃美は、別の言葉で言えば「神を畏れる必要はない」ということである。神様に背を向けた時代は、神さまの方から取り除いてくださった。それは一時的なものではなく、これから神さまを喜んで生きることが出来るという意味である。

◇羊飼いは神様の光が照り輝いたので恐れた。神に反する後ろめたさがあり、顔を上げ、胸を張って、神の栄光を受けることが出来ない。これが人間の現実である。そのような人間に光がさした、それは断罪する裁きの光ではなく、安らぎの光であった。

◇この光がさしたのはクリスマスであったが、突然到来したのではなく、まずザカリアとエリサベトの老夫婦にも到来している。神さまの御告げを素直に信じることができず、口がきけなくなったザカリアであった。そのザカリアにヨハネが与えられて、ザカリアは堰を切ったように讃美を捧げ、自分の役割をはっきりと認識するのである。

◇68,69,73節でザカリアが語るのは、その歴史を通してイスラエルの民が、神様にとって今日も特別であるということではない。ヨハネが与えられて、イスラエルの民にとって何の救いが必要かを語っている。小さな民であるイスラエルは周辺の大国の圧迫を受けて神の助けが必要であった。しかしザカリアは「主の民に、神の罪の赦しによる救い」を告げるのである。そして高いところから照らす光は、民族的な壁を越え、イスラエルだけでなく世界を照らすことを語っている。

◇現代は電気の明るさに照らされているが、現実は心閉ざされ暗闇の中に沈み込んでいる。ザカリアの言う高いところからあけぼのの光が私たちを照らすのである。私たちはこのクリスマスを迎えて、神様の憐れみを存分に受けるものとして、この喜びを共にする歩みをしたい。

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