礼拝説教


2019/12/15—待降節第3主日礼拝—

「歴史を新しくする主」

ルカによる福音書3:23〜38
協力牧師 中野 実


◇今日の聖書個所、イエス様の系図は、イエス様がどこから何のために来られたのか、つまりクリスマスの意味を教えている。イエス様の系図はマタイ福音書にもあり、それぞれにメッセージがある。マタイ版ではイスラエルの父祖からその歴史へ、そしてイエス様へとたどり、ご降誕を神様の約束の成就として、歴史のクライマックスとして描く。それに対してルカ版ではイエス様から、最初の人であるアダム、そして神様にまで遡る。イエス様は神様の子であるというメッセージを伝える。

◇創世記によれば、最初の人アダム以来、人間は罪によって神様から離れ、全地に散ってしまった。「善悪の知識の木」から実を取って食べたことで楽園から追放され、カインの殺人の罪により人は地をさまよう者となり、傲慢にもバベルの塔の建設を試みた結果、言葉は乱され、全地に散らされたのである。人間同士は互いに理解できず、自然を勝手に破壊し、自分自身をさえ正しく愛せなくなってしまっている。大人も子供も、破れ、欠け、トラウマを抱えながら生きている。辛い、苦しい人生である。この人生は、簡単には肯定できない。しかし簡単にはリセットしたりもできないのである。

◇しかし聖書は言う。人間は神様から離れて見失われているゆえに、回復され、救われ、新しく創りかえられねばならないと。破れ、欠けだらけの人類の歴史を、そこにつながる私たち一人ひとりの歩みを、もう一度新しく創りかえていただける道がある、いや、すでに実現しているのだと。ただただマイナスでしかない私たちの歩みに、ご自身も苦しみの中に入ってきてくださるというもう一つのマイナスによって、私たちのマイナスをプラスに変えてくださる。それがあのクリスマスの出来事なのである。

◇クリスマスツリーは本来、リンゴと聖餐式のパン(ホスティア)を飾るものであった。リンゴは罪の象徴、それに対して、ホスティアは私たちの救い、永遠の命の象徴である。クリスマスの季節を、救いの御業に心を向けながら、クリスマスツリーを見つめつつ、共に過ごして行きたい。       

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