礼拝説教


2019/12/1—待降節第1主日礼拝—

「くじで選ばれた使徒」

使徒言行録1:15〜26
牧師 古屋 治雄


◇待降節をもって教会暦の新年を初めるのは、不安や恐れがある時も、神様が切り開いてくださる、その恵みの力が私たちの日々の生活の中に働いていると確信して歩み始めるからである。今朝の聖書箇所では、使徒たちが新たにされ、励まされ、新しい歩みに派遣される様子が描かれている。彼らが聖霊の注ぎを待つように、私たちも待降節にあって救い主を待っている。しかし何もしないでただ待っているのではない。私たちは、神様が御子イエス様を地上に遣わそうと決断されたことの意味をしっかりと受け止めて待つのである。

◇ユダがイエス様を引き渡して離れていったことによる欠員を、使徒たちが補充しようとする。イスラエルの部族の数を表す12という数字は、神様の約束を表す数として教会へと引き継がれるべきであると考えられた。しかし単に数合わせをしたのではない。ペトロが語っているように、ユダも同じ任務を負っていた。ユダは意図的にイエス様を引き渡した。しかし他の11人も、イエス様にどこまでも従うと決意表明をしたのに、散り散りに逃げ去ってしまった。ユダの責任は確かに重い。それを直視したうえで、その責任を使徒全体で受け止めるべきだと考えられた。そこで彼らは心を一つにして、いつも行動を共にしていた広義の弟子の中から候補者を立て、祈り、くじを引いて後継者マティアを選出した。他の11人の使徒たちも 主の証人として新たな決意を与えられたことだろう。

◇ザカリヤと洗礼者ヨハネはイエス様のために、整えられた民を用意するという役割を担った。そしてイエス様の語られた福音は、イスラエルの民に留まらず世界へと伝えられていった。私たちの教会もその大きなつながりの中にいる。待降節の歩みは、教会を整えて救い主をお迎えすることに留まらず、世の人々に福音を宣べ伝える壮大な業でもある。その意味で私たちもまた使徒なのである。クリスマスにあたって、多くの人が主と出会い、福音を知ってほしい。新しくされ、新しい人間関係を築いてほしい、と願う。新しい力をいただき、しっかりと救いを宣べ伝えよう。 

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