礼拝説教


2019/11/3

「主イエスの遺体はどこにいったのか」

マルコによる福音書16:1〜8
牧師 古屋 治雄

◇マルコによる福音書はイエス様の復活の出来事から30年ほど後に書かれた一番古い福音書であると言われている。そして16章8節までがもとの福音書であると言われているが、ここで終わると婦人達が逃げ出したところで終わり唐突なものとなるので、復活の喜びの福音を伝えるために後で補われたのであろう。

◇婦人達はイエス様の最後を見届けた。そして、香油を塗るためにイエス様の墓へ行ったが、墓の入り口の石は開いており、中には不思議な若者(天使)がいて、イエス様はここにはいないと言う。動転した婦人達は若者の言葉を聞いて逃げ出した。大事なイエス様の復活のこと、ガリラヤへ行かれることを弟子達に告げるようにとの若者の命令を守らなかった。誰にも告げなかった。マルコの福音書は婦人達が喜びをどれ一つ受け止めることが出来ず、墓より逃げ去ったと告げる。これをどう解釈するか?

◇9節以降で婦人達は後にこの告げる役目を果たしたことがわかる。婦人達も弟子達も自分の力でイエス様の甦りの出来事を理解したり、納得した者は一人もいなかった。その後、神様の力で変えられ、イエス様に出会って死を克服して歩むものとされたのだ。イエス様の復活を自分の力によって理解を試みる者は死の力に跳ね返される。それは神の力に依らねばならない。人間の合理性で理解しようとした試みが多く伝えられている。例えば、イエス様の復活をユダヤの指導者達は弟子たちが遺体を盗んだとでっち上げようとし、またトマスもイエス様の復活を当初信じなかった。

◇婦人達はやがて神の招きにより恐れる者から喜ぶ者へと変えられた。主は私たちを恐怖の中に放置されることはない。若者の言葉にあったように、イエス様ご自身が死んだ遺体のままではおられない。イエス様の出来事に躓いている一人一人に新しい命をもって出会ってくださる。イエス様はどこにおられるのか。イエス様は今や死を克服し、私たちの前におられるのだ。私たちは甦ってくださったイエス・キリストと共に生きることが出来るのである。

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